熊本市東部にある陸上自衛隊健軍駐屯地(西部方面総監部)の広大な敷地の中に、終戦まで重爆撃機「飛龍」を生産していた三菱重工の巨大な工場建屋が残されています。 昭和16年、陸軍より生産増強の命令を受けた三菱重工が、名古屋航空機製作所の分工場として熊本市健軍の約140万坪の敷地に新工場の建設を開始します。三菱重工の工場ですが、国により建設され三菱により経営されるといういわゆる「官設民営工場」。工場は昭和19年に竣工し、終戦までの間に42機の四式重爆撃機・キ-67「飛龍」を生産しました。 戦後は、アルミなどを使った弁当箱や進駐軍向けのロッカーなどを製作し工場は自活の道へ。昭和22年には熊本機器製作所が設立され、本格的に農機具などの生産がはじまります。しかし、それも昭和24年に閉鎖となり、工作機器から従業員を含め工場は井関農機へ移譲されることに。残りの資産の整理・売却を進めるため、翌年に三菱重工西部