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ブックマーク / urashima41.hatenadiary.org (6)

  • 人物相関図(昭和63年〜平成元年) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-

    ここで少々当時の周辺環境を列記していこうと思う。 高塚さのりの周囲には高瀬遙やりんごの他に種々雑多な人物達が出入りしていた。 漫画家のさだ・こーじや斉藤苑子、結城らんな等もそのうちである。一時期は同人作家・佐藤明機氏なども出入りしていた。 僕とほぼ同時期にこのグループに紛れ込んできた中に「ほっぴー」と渾名される人物がいた。 彼は砂倉そーいち氏の住み込みアシをしていて、当のペンネームを明日香景介と言った。現在はゲームキャラクターデザイナーをしている。 砂倉そーいち氏は、かつて藤島康介氏と共に初期の江川達也氏のアシスタントをしていた人物。 砂倉氏の住む江古田のマンションには別の階に一時期青山剛昌がいた。 その江古田に下宿していた大学SF研の同期がアルバイトをしていたスナックの、常連客だったのが漫画家の山田貴敏氏。彼の飲み友達として、ソウル五輪で金メダルを獲得したレスリングの小林孝至氏がよく顔

    人物相関図(昭和63年〜平成元年) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-
    cinefuk
    cinefuk 2023/04/11
    "彼の居候するMEEくんの仕事場は「エロ漫画家梁山泊」といった雰囲気。えのあきら氏や神塚ときお氏、そうま竜也氏などが日々入り浸っていた。高塚・砂倉そーいち・MEE(おぐ)、をぐるぐる回るのが僕の日常だった。"
  • カズンズ - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-

    その日、午前四時。 電話の着信音で僕はふいに眠りから呼び戻された。相方の結城らんなからのコールだった。 「まりのさん、死んじゃったんだって!? 今、友達からメールが来たんだけど…」 「……ええ?」 仕事場で横になって一時間も経っていなかった。頭が一気に覚醒した。 慌ててネットを繋ぎあちこちの関係サイトを開いていき、まりのさんのユニット「NURK TWINS」のBBSに辿り着く。 一緒にユニットを組んでいた後藤さん(松惇)が書き込んでいた。 事実だった。前日、病院で息をひきとったという。 正直、ショックは無かった。ここ数年の彼を見ていて、覚悟をしていたからだ。 平成16年、10月12日。 西崎まりのが死んだ。 僕にとって、兄のように慕っていた存在だった。 いったいいつ頃まりのさんと知り合ったのか、ということになると記憶がはっきりしない。 当時、司書房にMという編集アルバイトがいた。彼は西崎

    カズンズ - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-
    cinefuk
    cinefuk 2023/04/11
    "平成16年、10月12日。 西崎まりのが死んだ。 僕にとって、兄のように慕っていた存在だった。「あ、こっち西崎まりのさん。西崎さん、彼、森林林檎くんのトコでアシをやってる浦島くん」昭和63年。おそらくは、初夏。"
  • 奴婢訓(その1) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-

    実物のまりのさんを見た第一印象は 「オッサンじゃん…」だった。 たとえば僕も大好きな作家の松原香織氏なぞは、ある意味あの絵柄のとおりのイメージの、スタイリッシュで、いかにも繊細そうな風貌であった。 僕が「エロ漫画家」になろう、と思ったひとつの理由にこの松原氏の存在が大きい。氏の登場はエロ漫画というジャンルの幅の広さを示していた。隠さずに言うが、自分が絵柄を変える際、氏の影響を最も受けた。アイドルを追いかける如く、それほど松原香織に熱中していた。 もっとも、当初は当に女性だと僕も思っていたが。 だが、西崎まりのはと云えば明治時代の書生のようなザンバラ頭と無精髭、「今時ねーよ」というほどの牛乳瓶の底のようなぶ厚い黒縁メガネ(彼はとても視力が弱かった)。チェーンスモーカーで常に煙草を手放さず、昼から缶ビール(しかも720mi !)をあおっている… とてもこの人があの繊細な絵を描いているとは思え

    奴婢訓(その1) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-
    cinefuk
    cinefuk 2023/04/11
    "西崎まりのは明治時代の書生のようなザンバラ頭と無精髭、牛乳瓶の底のようなぶ厚い黒縁メガネ。チェーンスモーカーで常に煙草を手放さず、昼から缶ビールをあおっている…この人があの繊細な絵を描いているとは"
  • サイバーコミックスとゼネプロ時代(その5) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-

    Iくんとの件では、僕は自分の仕事もありながらもMに泣きつかれその合間を縫ってアシをした。 91年頃といえば、僕自身も月に2〜4をこなしてしたくらいには忙しかったにも拘わらず、だ。 ところがこうした件はこれに止まらず、以後もMの『尻拭い』を僕やまりのさんはさせられることになる。 それは何もゼネプロ編集部だけのことではなかった。 *    *    * 時系列的にどうだったのかは忘れたが…ちょうど先述の作家Iくんへの手伝いのときにはまだゼネプロにはMしかいなかったと記憶しているので、そのあとのことだったのかと思う。 何かの折に、杏東ぢーなが僕に相談をしてきた。 "そろそろ専門学校を卒業するので、どこかに就職をしたい。ついては、ゼネプロに入るにはどうすればいい?"ということだ。 どうしてそこで杏東が就職先にゼネプロを考えたのかは忘れてしまった。ひょっとしたら僕が焚き付けたことだったのかもしれな

    サイバーコミックスとゼネプロ時代(その5) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-
    cinefuk
    cinefuk 2020/10/29
    『ある時ゼネブロ・ガイナ合同の恒例マージャン大会があり、こともあろうに杏東ぢーなが準優勝してしまった。参加した某作家氏から「この会社は接待マージャンもできねーのか!!」と罵倒されたという迷エピソード』
  • サイバーコミックスとゼネプロ時代(その4) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-

    Iくんは僕が出逢った中でいちばん仕事をしない作家だった。 最近は少なくなったのかもしれない。よその編集部でもカンヅメはあったが、ゼネプロではほぼ常態と化していた。とはいえ事もぜんぶ編集部持ち。トーン代やアシ代も。ガイナのアニメ班用の寝部屋も近隣のマンションにあって、カンヅメとはいえ、環境は相当恵まれていた。 Iくんはそれをカサに着て原稿を延ばし延ばしにしている。僕にはそんな印象しか見受けられなかった。 ここで彼のことを"先生"とは呼ばずあえて「くん」付けで呼ぶのも、僕自身が彼を作家として尊敬ができないからだ。 僕が入っているあいだも、殆どが仕事もろくにせずだらだらと遊ぶだけだった。 あまりにも目に余る彼の態度に、呆れた僕は編集長に尋ねた。 「なンであんな仕事もしない作家を大事にしとくんです?」 「しょうがないのよ…バンダイからの預りだからサ」 いろいろとあるのはわかる。だが、この編集部は

    サイバーコミックスとゼネプロ時代(その4) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-
  • サイバーコミックスとゼネプロ時代(その3) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-

    「原稿破って捨てたァ? まりのさんが?」 「ええ、俺びっくりしちゃいましたよ」 「どうして?」 「いや、聞いたら『もうこの原稿は要らないから』って。自分の納得できる出来じゃなかったからみたいです」 「そんな、もったいない-----まりのさんのナマ原なんて、欲しいヤツなんかいっぱいいるだろうに…」 原稿破棄事件は、まりのさんの彼なりの無言の抗議だった。 だがMをはじめ、編集長さえも彼の行動の真意は理解できていなかった。 仕方ないかもしれない。僕でさえ「まりのさんほどのレベルの人なら、そんなこともあるのかな」と考え、当初は誤解していたくらいだから。 まりのさんは後に僕には語ってくれた。 「そんなの、誰だって自分の原稿なんだから、捨てるなんて嫌にきまってるじゃないっすか。 あれは、Mへの抗議ですって。ンなもの、俺が描きたくもない仕事やらせてからに。だからアイツの目の前で破り捨てたんでスって。そり

    サイバーコミックスとゼネプロ時代(その3) - 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-
    cinefuk
    cinefuk 2010/02/24
    サイバーコミックス編集部のグダグダ裏話
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