親に正しく愛されなかった子どもは悲しい。 彼らの不幸は、ただ愛されなかったという事実だけではすまない。 心に欠けたもの、別の言い方をすれば飢えを常に持ち続けるからだろう。 人は知性があるからこそ不安も同時に育てる。それを人間の業(ごう)と呼ぶのか、あるいは、飢えと呼ぶのか、私は知らない・・・ 安全な家で安心を得て育った場合、そうした欠落感とある程度は折り合いをつけて生きていける。しかし、愛情不足の場合、その欠落感と不安が彼らを駆り立てる。 悪に染まるのか、あるいは、欠落を糧に成功者になるのか。 その分かれ道がどこにあるのか、それは、本人の決断しかない。 木下藤吉郎のち秀吉は欠落感を原動力とした。 しばらく今川軍の下の下の武将の雑役などをして働いた後、信長に拾われ、桶狭間の戦いの頃には足軽にまで出世していた。 今川軍が本陣を置く沓掛城下 藤吉郎の姿は今川義元が本拠地を置く沓掛城下にあった。
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