守り続けてきた二つのお墓の前に立つ多田正友さん(左)、春子さん夫妻。墓石は両方とも地震で倒壊した=福島県大熊町で2011年9月1日、関口純撮影 ◇「こんな放射能じゃ無理」 「もう戻れないでしょう」。何人もが、そう口にした。東京電力福島第1原発から南側の3キロ圏内に自宅がある福島県大熊町の一般住民が1日、初めて一時帰宅した。同じ3キロ圏でも北側の双葉町より放射線量が高く、住民たちは苦渋の思いでわずかな時間を過ごした。 149世帯239人は13台のマイクロバスに分乗し、正午前に広野町中央体育館を出発。防護服を着込み、靴にはビニールカバーをかぶせる重装備だ。 同行記者らのバスも車列に加わり、国道6号を北上。20キロ圏の警戒区域に入ると、コンビニエンスストアには商品が並び、ラーメン店のカウンターに割りばしやしょうゆ差しが置かれたまま。廃虚ではないのに人がいない異様さが原子力災害の恐ろしさを物語る。