激動編*大衆の道、めしの道、食堂の道 *三、貧乏大衆のための東京食堂事情* ●なんとナントの公営の食堂● こうなるはずではなかったが、ついでだから、大正時代の食堂のことである。この時代に大衆食堂の原型が生まれたといえる。 大正七年(一九一八年)といえば、東京のぜいたくなサラリーマン野郎が「今日もコロッケ、明日もコロッケ」などといいだすほど、洋食はひろまっていた。だけど、米騒動もあった年である。世間は激動、といっても歴史はいつも激動していてつまらないが、都市には、貧乏人があふれるわ、一方で成金が生まれるわ、で、なんか激動していた。バカ儲けするやつがいると、必ず、片方には貧困が生まれているということで、いつの時代でもこれが激動の根にある。バカ儲けするんじゃない! で、この年、東京神田に「簡易食堂」が出現した。それが、当時の東京市立のものだったらしいのだが……。 昭和二四年一〇月に東京都民生局が