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*保留に関するcometoriのブックマーク (18)

  • イギリス暴動の裏にある鬱屈と絶望について

    ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。 あの日起こったことは何だったのかこれについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。 http://togetter.com/li/172491 警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された

    イギリス暴動の裏にある鬱屈と絶望について
  • http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200410masatsu/index.html

  • http://www.kansatuhou.net/11_essay/02_yahiro_kouen_part3.html

  • 宮地尚子『環状島:トラウマの地政学』 - kanjinaiのブログ

    環状島=トラウマの地政学 作者: 宮地尚子出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2007/12/20メディア: 単行購入: 5人 クリック: 96回この商品を含むブログ (28件) を見る 2008年3月2日熊日々新聞掲載 阪神淡路大震災のような大惨事を経験して、心に大きな傷を負った人は、あの時間、あの場所で起きたことについて、自分の言葉で何ひとつ語れなくなることがある。また、繰り返されるDVや虐待を受けた人は、そのとき自分に何が起きたのかについて、他人に対して説明できないだけでなく、自分に対してもそれを言語化できないことがある。 書の著者の宮地さんは、この点に注目して、トラウマをかかえた人と、その人を取り囲む人間関係を説明する、新たなモデルを提案した。それが「環状島」である。 環状島というのは、大海の真ん中にぽつんと浮かんだ離れ小島なのであるが、その中心部がへこんで大きな湖になっ

    宮地尚子『環状島:トラウマの地政学』 - kanjinaiのブログ
  • Frank, Arthur W.『傷ついた物語の語り手――身体・病・倫理』

    ■Frank, Arthur W. 1995 The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics, The University of Chicago Press. ISBN-10: 0226259935 ISBN-13: 978-0226259932 欠品 [amazon]/[kinokuniya] ※ =20020215 鈴木 智之 訳,『傷ついた物語の語り手――身体・病・倫理』,ゆみる出版,326p. ISBN-10: 4946509291 ISBN-13: 9784946509292 2800+ [amazon]/[kinokuniya] ※ w/fa01, sm *2008/04/19 アーサー・フランク研究会第2回報告資料 ■内容 Amazon 「BOOK」データベースより フランクの言葉は、自らの重篤な病いの経験に根ざしながら

  • Spivak, G.C.『サバルタンは語ることができるか』

    ■Spivak, Gayatri Chakravorty 1988 Can the Subaltern Speak?, C. Nelson & L. Grossberg eds., Marxism and the Interpretation of Culture, University of Illinois Press. pp. 271-313. =19981210 上村 忠男 訳 『サバルタンは語ることができるか』,みすず書房,147p. ISBN-10: 4622050315 ISBN-13: 978-4622050315  2300+ [amazon]/[kinokuniya] ※ n08 ■内容 amazonより 「BOOK」データベースより フェミニズムとポストコロニアルの問題圏の交差点に定位しつつ、サバルタンの女性と知識人のあり方をめぐって展開される目眩く筆致。従属的地位に

  • 解説委員室ブログ:NHKブログ | 視点・論点 | 視点・論点 「誰でもよかった」 

    << 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2008年04月09日 (水)視点・論点 「誰でもよかった」  精神科医 斉藤環  このところ、無差別に人を殺す通り魔的な殺人事件が続発し、世間を騒がせています。  3月23日には茨城県土浦市の荒川沖駅で、24歳の男性が包丁で一人を殺害し、七人を負傷させるという事件がありました。続く25日の深夜には、JR岡山駅ホームで、大阪から家出してきた18歳の少年が、県職員の男性を線路に突き落とし、死亡させる事件が起きています。  土浦の通り魔殺人の容疑者は、高校を卒業後、コンビニ店員などのアルバイトを転々としていましたが、アルバイトをやめてからはひきこもりがちな生活を送っていました。自宅ではゲームに熱中し、家族ともほとんど会話せず、家庭内でも孤立していたようです。 二つの事件の容疑者に第一に共通するのは、逮捕後に「殺すのは誰でもよかった」という

  • 「内心の自由」ってなんなんだ? - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100421/Second_Rape 一般的なものであれ、特定の人間に対するものであれ、人間の様々な行為や行動に対する批判的な言及は、人間の意識、つまりはその内面に対する問いかけを伴わざるを得ない。いささか型にはまったものが多いとはいえ、「差別」はいけない、「いじめ」はよくない、というような、よくある一般的な啓蒙だってそう。人間の意識=内面への問いかけを伴わない批判など、なんの現実的な変革ももたらさない、無力な批判にすぎない。 たとえば、アメリカでの黒人差別に反対し抗議した人らの活動は、なによりも、そのような差別を当たり前のもの、自明のこととしていた人らの意識=内面への問いかけを伴うものであったはず。そして、そのような批判を多くの人が正当なものとして受け入れた結果、現在では、少なくとも、公然たる「人種差別」は非難

    「内心の自由」ってなんなんだ? - 遠方からの手紙(別館)
    cometori
    cometori 2010/04/24
    だいぶ引っ掛かる/「他者の言葉」が私の内心(の在り様)に干渉してくることはむろん当為だが。「他者の像をもってメタに【規範】をかざし私の内心(の正誤)に干渉しようとする言葉」に、その当為は無いと思う。
  • jisyus2

    『ためらいの倫理学』(内田樹)について 2006/05/13 於:現象学研究会 ○はじめに 「自分の正しさを雄弁に主張できる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが私は好きだ。」 筆者は「こので自分の語りたかったこと」を以上のように端的にまとめている。 この言葉の通り、「自らの『可誤性』を念頭に置きながらも、自分自身の感触に基づいて『よし・あし』を吟味する」ことが筆者に一貫する姿勢として伺える。こうした視点から、「権威主義的」「党派的」な思弁に陥っているポストモダン思想の問題を的確にとらえていくところは、胸のすくような思いで読んだ。だが、内田のこの「実存に定位する誠実な懐疑主義」とでも呼ぶべき思想的態度は、(「これは問題」「ここが変」というように)諸問題を批判するに際して効果的かつ魅力ある表現を生み出している一方、思想の原理を生み出すためには弱いものだというようにも感じた。自分な

    cometori
    cometori 2010/04/08
    ほー。/それはそうと、他で読んできた内田氏の評論にちょいちょい感じた苦い感触の出所がわかった。その矛先がしばしば「モノ言う弱者」にも向けられていた、のか。自戒しよ/「代弁者」に向けては保留。
  • 2歳長男虐待死で被告の母親「私なりにかわいがってきた、結果だけ見ないで」(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    夫(35)とともに2歳の長男をごみ箱に長時間閉じこめて窒息死させるなどしたとして、監禁致死罪などに問われた無職、菅野理香被告(35)の裁判員裁判の第3回公判が25日、東京地裁(井口修裁判長)で開かれた。男性裁判員は被告人質問で「なぜ、きょうだいのうち長男だけ(虐待して)死なせてしまったのか」と質問。菅野被告は「私なりに長男もかわいがってきた。結果だけを見ないでほしい」と、愛情を注いでいたとを訴えた。 この日は引き続き論告求刑などが行われ、判決は26日に言い渡される。 検察側は「長男をごみ箱から出すのは容易だったのに助けなかったことなど、重要な役割を果たした」と指摘。弁護側は「虐待行為への関与は少なく従属的。暴力をふるわれる恐れがあったので夫を止められなかった」と主張している。 起訴状によると、菅野被告は夫=同罪で懲役11年が確定=と共謀し、平成20年12月23日未明、自宅マンション

    cometori
    cometori 2010/03/25
    うーん。/審理ではまず、当事者にとっての事実の経緯を冷静に、順々に問うてほしい。/件の質問は「子に愛情がなかったのではないか」という内容(と被告は聞いた)。応答はこうなってもとくに不思議でない。
  • フーコーの権力論というか - finalventの日記

    一般的には、フーコーの権力論というのは、権力を国家にのみ依拠させるのではなく、社会全体に網の目のように張られたものとして理解され、いわば、国家権力論と対置されたように理解されている。 これがね、そういう一般的な理解と違うんじゃないかと思う。これを議論するには、きちんとフーコーの原典が必要なんだけど、けどにためらうのは、フーコーって史学的には実はトンデモさん。 一般的には、フーコーが同性愛に関心をもったこともあり、人と人の直接的な差別や権力の関係をアトムとして社会というシステムでどう働くかというボトムアップ的なモデルとして理解されていると思う。 違うと思うのだよね。 フーコーはヘーゲルを継いでいて、社会と国家の差異を前提にしているはずで、国家の成立は市民の成立と同時。ということは、この網の目の権力というのは、社団的な社会と個人の間、と、国家=市民対社団的な社会の間という、二つの軸があると思う

    フーコーの権力論というか - finalventの日記
    cometori
    cometori 2009/04/26
    社会というか国家以前の集というか/(≠共同体)か。
  • ありがちな思想の錯誤 - finalventの日記

    ある年代以上で思想に関わった人間ならほとんど暗唱している吉隆明「マチウ書試論」だけど。 人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。 全共闘世代が残した唯一の遺産たりえるのはそのあたりかもしれないと少し思う。 finalventに対して、お前は中国に謝罪せよ、イスラエルに加担する卑怯者だ、とか言う日人さんがいらっしゃるが、「人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである」がわかっていないのだろう。そう言う日人とfinalventとは、日国家という関係の絶対性においてまった変わるところがない。対国家の関係における関係の絶対性において、finalventもその批判者も同じ日人として疎外された存在

    ありがちな思想の錯誤 - finalventの日記
    cometori
    cometori 2009/04/25
    ・・・気が重い。
  • 「生命/生存の維持」という価値へ

    ■031■ 「「生命/生存の維持」という価値へ――「公共圏/親密圏」という構図の向こう側」 家族問題研究会発行.『家族研究年報』30号.P17〜P34.2005年7月. 天田城介(AMADA Josuke) 脱稿:2005.03 最終更新日:2006.04 【全文】(以下、草稿です) 「生命/生存の維持」という価値へ――「公共圏/親密圏」という構図の向こう側―― ●天田城介(熊学園大学社会福祉学部助教授) 0.「生命/生存の維持」という根源的な願い・希求 かつて「痴呆性高齢者」と呼ばれていた84歳の高齢女性は、現在は寝たきりの状態であり、IVH(中心静脈栄養)を利用して生を営んでいる。その高齢女性を介護している長女は一日に幾度となく排泄介助をし、汚れた身体を清拭し、そして訪問看護師にこの数日の状態や出来事を説明する。そして、週5日、1日合計2時間のホームヘルパーが訪問してい

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    cometori
    cometori 2008/06/19
    『パラダイム転換』『生活者の人権』というのはしっくりくるなぁ/CSRの重要要件に「網羅性」がある。明示的に要請されなくとも、衛生要因にもれなく不備の無い状態を実現・維持するということ。この辺りに繫がるのか
  • 当事者を/として批評すること - sugitasyunsukeの日記

    上山さんの周辺がずいぶん陰惨なことになっている。 http://d.hatena.ne.jp/gojopost/20080520 http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20080522 ぼくはここにある個人的なデジャヴを覚える。 その上で、font-daさんの「当事者」論を、ある痛さと共に読んだ。 http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080519 《当事者は「自分の身に起きた不幸」を晒す。その不幸は、当に不幸である。だからこそ、不幸がパワーになる。逆に、幸福になることは、パワーを手放すことになる。つまり不幸を手放すことは、せっかく当事者として生きていく道を掴んだのに、それを捨てることである。 上山さんの指摘する、ひきこもり当事者の長いキャリアが持つインパクトの、相反する2側面と重なる問題である。上山さんの長いひきこもりは不幸である。し

    当事者を/として批評すること - sugitasyunsukeの日記
  • 2008/6/14 近況13 釜ヶ崎でこういう光景をまた見るとは思わなかった

    めったに更新しない(だろう)近況 (文中で、野宿者問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「極限の貧困をどう伝えるかを参照してください。) スパムメールを毎日多数削除してますが、間違って知り合いや用事のメールも削除してしまうかもしれません。「返事があって当然なのに、1週間しても返信がないな〜」というときは、(その可能性があるので)お知らせ下さい。 最新の「近況」はこちらです。 ■2008/9/21■ 反貧困キャラバン岡山集会 8月21日以来、なんか忙しくてホムペをやってるヒマがなかった。 ようやく時間が空いたので、しばらく前の報告から幾つか。 9月6日(土)、「反貧困全国キャラバン2008in おかやま」で、講演「現代の貧困をどう理解するか −経済の貧困と関係の貧困と−」を依頼され、1時間半ほど話をした。 ぼくの

  • 差別表現 ブロガーも問われる責任と人権感覚

    ブログやSNSが普及し、個人が自分の考えをネット上で表現する機会が増えている。その一方で、差別表現を知らずに書き込んでしまい、他人を深く傷つける可能性も増している。これまでブログが“炎上”したケースでも、差別意識を露呈した表現が問題視されたことが多い。 「ブログの発展が一番恐い。これまでテレビ映画、新聞が差別を拡大再生産させてきたが、もっとひどいことが起きてしまうのでは」――小学館で差別表現問題に取り組み、多くの実例を集めた「改訂版 実例・差別表現」(ソフトバンククリエイティブ)を出版したジャーナリストの堀田貢得さんはそう危ぐする。 差別表現とは 同書によると差別表現とは「他者の人権を侵害し、人間性を深く傷つけ、苦しめ悲しませるような表現」。誰もが持つ基的人権――自由と平等の権利や人間らしく幸福になる権利――を侵害するような表現だ。 差別意識が向けられるのは「弱い」人たち。日では被差

    差別表現 ブロガーも問われる責任と人権感覚
  • 意味分からない - 無産大衆

    http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20080511/ ここのコメント欄にいる愉快な人たちについて。 自己責任とか自助努力を云々する人は一人で勝手にやってればいいのに、なんだって労組の取り組みとか運動に口出しするんだろう。大体、全部が人のオレ道徳に過ぎないじゃないか。そんなもん、社会的係争点に対しての何のアプローチにもなってないし、他人たちと話す言葉にすらなってないよ。勝手にクソサラリーマンでもしてればいいじゃない。寄ってきて、ガタガタ自分のオモシロ規範を他人に押し売りするってのはどういう了見なんだろう。 あと、ある特定の業種全体のパイが小さくなったから労働者切り捨てるのが合理的な選択である…って、それ単に経営側の論理じゃねえかよ。なんで労働者が経営側の論理なんか聞く必要があるんだろう。ほんとに理解できないんだけど。階級的な敵対性を元にして行われるべき労

    意味分からない - 無産大衆
    cometori
    cometori 2008/05/19
    ご尤もと思いつつ何か釈然としない。うーん・・・/『労働者が経営側の論理なんか聞く必要』は確かに無い。とくに労災・リストラクチャリングを口実にした解雇には/こういう譲歩じみた発言も「敵」陣側なのだろうか
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