タグ

日本語と日本に関するcomnnocomのブックマーク (9)

  • ご機嫌!歌舞伎ライフ

    ー素人が歌舞伎で声を掛ける方法― 歌舞伎を好きな人なら誰でも一度は掛けて見たいなぁとおもうのが、あの「掛け声」ではないでしょうか? そこでこのサイトでは大向こうの「掛け声」について、いろいろ考えて見ることにしました あなたは人目のお客様です(since2002.9.8)

  • http://home.att.ne.jp/red/sronin/koten.htm

    comnnocom
    comnnocom 2006/03/24
    きっと「物を語る」ことが目的なんだ。何を語るかなんてどうでもいいことだったんだ。
  • 世阿弥ゼミナール

    ピザでも... いきなり再生されます。 ループします。 700kbps以下の回線の方は耐えてください。 2006年03月17日 完成 2006年03月27日 細かな修正 再生に不具合がある方は最新のFlash Playerをインストールしてください。 東大代ゼミ! 京大代ゼミ!のガイドライン http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1141737681/34 を元に一部書き換え 能楽!世阿弥!狂言!世阿弥! 能楽!狂言!観阿弥!世阿弥! 能楽!世阿弥!猿楽!世阿弥! 翁! 般若! 能面!世阿弥! 重要!無形!文化財! 能楽!イェーイ! 芸術!イェーイ! 能楽!世阿弥!能楽!(世阿弥!)能楽!

    comnnocom
    comnnocom 2006/03/17
    一回見たらブクマする!脊髄反射ブクマがふさわしい!
  • 竹内文書 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2021年5月) 竹内文書(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ、磯原文書、天津教文書ともいう)は、 新興宗教天津教を開いた竹内巨麿によって、代々伝わってきたとものとして昭和10年に公開された文書群。いわゆる神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称。天津教の聖典とされる。竹内文書の信奉者は、原は後述の裁判に提出されたのちに東京大空襲によりほぼ焼失したと主張している。 平群真鳥の子孫であるとされる竹内家に、養子に入ったと自称する竹内巨麿(たけうちきよまろ/たけのうちきよまろ)が、1928年(昭和3年)3月29日に文書の存在を公開した。昭和1

    comnnocom
    comnnocom 2006/02/16
    かっこいいなあ。何を思って作ったんだろ。
  • こどものうた せんせいがおこったら(JPEG 画像, 210x700 ピクセル)

  • 宮沢賢治/やまなし クラムボンの正体

    わたなべかなこさん(6年生)が描いたクラムボンの想像図 以下に、「クラムボン」に関する諸説をおおよそ年代順に並べます。ただし、各研究者のことばは、その時点における意見であることをおことわりしておきます。つまり、更なる研究の結果として現在では別の意見をお持ちかもしれません。なお、敬称は略させていただきました。 1、アメンボ説(昭和14〜43年) この説が研究初期の主流を占めたのは、十字屋版全集の注に出たことが影響している。新聞掲載された無校訂のものは二カ所がクラムボンではなく「クラムポン」になっていた。初期形原稿が公表されるまでこの「クラムポン」が単なる誤植であるかどうかは定かではなかった。おそらくここからの連想で、英語の「cramp」「clamp」により、かすがい・気根と解釈され、それがアメンボの作る形相と似ていることから類推されたと思われる。現在ではあまり支持されない。 2、小生物説

  • 本と活字をめぐる読み物 クラムボンの正体:「やまなし」読解

    クラムボンとは、何なのでしょう。 と、毎年、全国の小学校の国語の時間で、必ず問われているわけである。(注) そのたびに、 「はーい、仲間の蟹だと思います」 「はーい、タケダさんの意見は、違うと思います、泡だと思います」 「はーい、ナカノさんの意見も、違うと思います、光だと思います」 などと、十年一日のごときワンパターンな討論が繰り返されることになるのだが、いやはや、だから国語の教育はダメだというのだ。 泡とか光とか、エッ、そりゃ、何だよ。文中のどこにも書いてないことを想像たくましくでっち上げることばかりが、国語ではないのだ。妄想力を強化するのもいいが、もっと文に即して、客観的に事実を検証する、そんな力を身に付けるのも、子供にとって大切なことなのではないのか。 たしかに、文中には、 「そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。」 「つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつ

    comnnocom
    comnnocom 2006/01/03
    このサイトのエントリはどれもいいのだけど、これは別格。
  • 文芸時評という感想 - 新・整腸亭日乗

    『近代文学』1946年2月号に掲載された小林秀雄を囲む座談『コメディ・リテレール』は、荒正人、小田切秀雄、佐々木基一、埴谷雄高、平野謙、多秋五が、小林秀雄に聴くという形の座談会だが、『小林秀雄全集第八巻』(新潮社、2001)に収められているのを今回初めて読んだ。よく引用される箇所は、多秋五の質問に答えた次の発言である。 僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない。・・・(中略)・・・僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。(p.31−32) 今読むと近代文学派の人達と、小林秀雄には思惟の根底に大きなズレがあったことが読み取れるけれど、批評家としてのスタンスの変化にふれた平野謙の質問に答えて、小林秀雄は次のように述べている。上の発言より、

    文芸時評という感想 - 新・整腸亭日乗
    comnnocom
    comnnocom 2006/01/03
    言葉には無限の力が。
  • (5)ブログ、セケン、コミュニケーション - ぶろしき

    会話より文章の方が得意 なぜこの質問への答えがデジタル・ディバイドの二つ目の境目になるのか。なぜ会話の得意な人が「ネットをリアルの足場としても使える人」、文章の方が得意だと答える人が「ネットで完結せざるを得ない人」になるのか。 という辺りイマイチうまく書けてないので補足。誰からもつっこまれてないけど勝手に補足。前回の続き。 「非コミュ」という言葉がある。id:akoginaさん辺りが提唱したらしい概念でキーワードまで作られている。 所謂「コミュニケーション能力」において劣っており、他人とうまく「コミュニケーション」がとれないとされた人。またそのために、コミュニケーションの意欲が減衰し、所謂「コミュニケーション」から退却している人。「協働」「フレキシビリティ」「情動」「差異」が重視されるいわゆる「ポストフォーディズム(情報化社会)」化の社会において不利になるとされる。 正直これを見て違うな〜

    (5)ブログ、セケン、コミュニケーション - ぶろしき
    comnnocom
    comnnocom 2005/12/22
    非モテで非コミュな人は「ニートじゃないひきこもり」ってことになる?精神的ひきこもり、物理的ひきこもりってこと?もっかい読もう。
  • 1