こんにちは。波留です。 寒さも増し、街ではクリスマスや年の瀬の雰囲気も高まるこのごろですが、研究でお疲れの方も多いのではないでしょうか。 文学部の卒業論文は、先週末が提出日でした。そして、文学研究科の修士論文提出日はついに来月に迫りました。 今日のブログの題名は、 いまの一当は、むかしの百不当の力なり、百不当の一老なり。 これは、曹洞宗を開いた道元禅師のことばです。 仏道を求めても、一向に真実の道が得られない。しかし、あきらめずに教えに従い修行していくと、やがて真実が得られる――。 「百不当」とは、たとえれば、弓を百回射ても一向に当たらないこと。 ようやく当たった「一当」は、それまでの百回の外れを積み重ねたからこそのもので、それが「百不当の一老なり」ということばに表わされます。 この「老」は、年をとることというより、老練の老で、経験を積んで生み出された熟練さと捉えられます。 成功には、失敗