第二次大戦中日比谷図書館の蔵書約40万冊を疎開したドキュメンタリー映画。
学生時代は『万葉集』に入れこんでいた私が、王朝期の大作『源氏物語』にとりつかれたのには、ある動機があった。1960年代、当時ハーバード大にいた夫のもとに幼い娘を抱えて合流し、ボストンに住んだ頃、大学系のパーティーなどで「どこから来た?」と聞かれて「日本」と答えると、何人かが「オー、ゲンジ?!」と応じるのである。日本人でさえ戦前は、めったな人が触るものじゃない、などといわれていた『源氏物語』の名が、意外にも海外では日本文学の代表のように扱われていることを初めて知った。 戦時中は勤労動員され、大学の教室までも入り込んできた軍需工場で働かされ、空襲警報が出て避難したときだけ、『源氏物語』の古い注釈本を抱えていって半地下の薄明かりで少しずつ読み進むのが唯一の生きている証拠、喜びだった。いま戦争が終わり、敵国だったはずのアメリカから快く受け入れられている中で、日本人としてのアイデンティティーをしっか
レールパズル レールを追加してコースを閉じよう (交差や重なりがあってもOKです) 問題番号 : 1 成功数0/失敗数0(全ユーザ) レールの追加 (c) 2018 Jun Mitani (Web)
ゲームは、どれほど自由度があっても、どうしても「受け身」にならざるを得ない部分がある。 ゲームを起動し、画面を表示させ、その「枠組み」にのっとってプレイする。「村人A」に自分から話しかけるところでさえ、「A」のセリフを与えられているという側面は否定できない。 通常、「会話」というのは、ゲームの基本を成す。もちろん音ゲーやパズルゲー、シューティングのように「会話がなくてもよい」ゲームはあるし、あるいは「ゆめにっき」のように会話を意図的に(そして徹底的に)廃したゲームも存在する。 だが「会話」がゲームにおいて重要なのは変わらない。 物語を盛り上げ、情報を知り、親睦を深める。謎を解き、魔王を倒し、意中の彼女をゲットする。 『666laboratory』は、そんな「会話」をするゲームだ。 あなたは新米のカウンセラーである。「イオ」という名の少女の、担当を任された。 もちろん彼女は問題を持っている。
琉球大学の「琉球方言研究クラブ」に1年生のころ数カ月在籍した。先輩たちにくっついて、旧具志頭村に方言調査に行き、公民館に集まったお年寄りたちの言葉に耳を傾けた ▼方言を国際音声記号で記録するのは難しく、いくつも間違いを指摘された。大学に戻ると、研究室のパソコンにデータを入力する地道な作業が待っていた ▼顧問で6月28日に亡くなった上村幸雄先生に声を掛けられたのはその部屋。父親が離島出身だと言うと、先生は「いろいろ勉強できますね。それは良かった」と穏やかな表情で話された。だが先輩たちの高いレベルに付いていけず、クラブは早々と辞めてしまった。父の島の方言調査はできずじまい ▼14年後、担当していた文化面に先生が「身近で大切な対象をふかく全面的に研究してその中から自分で法則を発見しないかぎり、学問は現実から遊離し、見かけはともかく、質が向上しない」と寄稿。原稿を通して叱られた気分に ▼国立国語研
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く