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historyとhorseracingに関するconsigliereのブックマーク (6)

  • 史上最も過酷な障害馬術競技でナチスに勝利し、歴史から消えたチェコの女性騎手(The Telegraph) - Yahoo!ニュース

    【筆者:Richard Askwith】 1937年10月17日、日曜日のチェコスロバキア。欧州で最も若い民主主義は崩壊寸前だった。何百万という国民が、建国の父であり国家の守護聖人のような存在だったトマーシュ・マサリク元大統領の死を悼んでいる。国境の向こうでは、ナチス・ドイツが国民の不満を扇動し、こちら側への侵攻を狙っている。そんな中で、スポーツ史上最も目が離せないドラマがクライマックスを迎えようとしていた。 この日のパルドゥビツェの街には、おびただしい数の群衆が集まっていた。危機にひんしたこの国で最も有名なスポーツ競技会、障害馬術レースのベルカ・パルドゥビツカを観戦するためだった。ベルカ・パルドゥビツカは、危険度の高い障害物や体力を消耗させる長いダートコースのおかげで、英国の有名な障害レース「グランドナショナル」ですら単調に思えてくるほどの世界最難関のレースとして知られていた。29の障害

    史上最も過酷な障害馬術競技でナチスに勝利し、歴史から消えたチェコの女性騎手(The Telegraph) - Yahoo!ニュース
    consigliere
    consigliere 2019/04/17
    こんな話があったとは!というか「ベルカ・パルドゥビツカ」というのも知らなかった。オレ本当に無知だな・・・
  • JRA競馬博物館 テーマ展 「勝馬投票を支える ~トータリゼータシステム50年のあゆみ~」

    テーマ展 勝馬投票を支える ~トータリゼータシステム50年のあゆみ~ 2016年11月4日 会場: 2階 テーマコーナー 会期: 9月28日(水)~10月30日(日) 休館日: 月・火曜日(ただし10月10日は開館し、12日が振替休館) 終了 概要 JRAの勝馬投票業務において、それまでの人力による「そろばん」に替わって、コンピュータを全面的に採用したトータリゼータシステムが導入されたのは1966年(昭和41年)のことになります。そして50年目の節目に当たる年まで、コンピュータ技術の進展に歩を並べてトータリゼータシステムも成長を遂げ、競馬ファンが快適に競馬に参加できる環境の改善に貢献してきました。 今回は、歴代のマークカードや勝馬投票券、投票券発行機やPAT端末機などを展示して、システムの歴史と進化を紹介します。

    JRA競馬博物館 テーマ展 「勝馬投票を支える ~トータリゼータシステム50年のあゆみ~」
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    consigliere 2016/09/21
    これはなかなか面白そうな企画
  • 「丘の上」から始まった 根岸競馬場の数奇な運命 「屋外の鹿鳴館」も今や廃虚然 - 日本経済新聞

    初の洋式競馬場「根岸競馬場」が1866年に完成してから今年で150周年を迎える。居留外国人の娯楽施設として丘の上で誕生し栄華を誇ったが、最後はその立地が災いして1943年に閉鎖に追い込まれた。常に外国とのはざまで揺れ続けた同競馬場。今は廃虚然としたスタンドが当時の繁栄ぶりをわずかにしのばせている。JR根岸線・山手駅から坂道を上ること20分あまり。跡地に整備された根岸森林公園にたどり着く。「

    「丘の上」から始まった 根岸競馬場の数奇な運命 「屋外の鹿鳴館」も今や廃虚然 - 日本経済新聞
  • 八戸出身の天才ジョッキー前田長吉さんの遺品見つかる (デーリー東北新聞社) - Yahoo!ニュース

    八戸市出身の騎手で、戦後に旧ソ連のシベリア抑留中に死亡した前田長吉さん(1923〜46年)の遺品が新たに見つかった。初めて確認された直筆のはがきに加え、43年夏に徴兵検査を受けたが、いったんは出征せずに済み、騎手を続けたことが分かる貴重な資料もある。遺族は23歳の若さで亡くなった“伝説の天才ジョッキー”をしのび、「郷土の偉人の資料を後世に伝えたい」との思いを強くしている。 長吉さんは43年の日ダービーで騎乗し、史上最年少で初優勝。名牝馬クリフジに乗って11戦全勝を果たすなど、輝かしい戦績を残した。 44年秋に出征した後の詳細が不明で、戦後しばらくは“謎の騎手”とも呼ばれた。その後、国による2006年のDNA鑑定で、シベリアで見つかった戦没者の遺骨が長吉さんと判明したのをきっかけに、再び関係者の注目を集め、多くの事実が明らかになってきた。 同市是川の生家には愛用のベスト、馬具などの遺

    八戸出身の天才ジョッキー前田長吉さんの遺品見つかる (デーリー東北新聞社) - Yahoo!ニュース
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    consigliere 2014/08/13
    しみじみとかみしめた
  • ある競馬ウマのこと - king-biscuit WORKS

    ● ある名もない競走馬の話、である。 ソリダリティ(アア)牝 12歳 鹿毛 2002年4月12日生まれ。 父 レオグリングリン、母 オリビアン、母の父 ファストセンプウ。 戦績125戦30勝。2着24回3着14回4着7回5着8回着外42回。連対率43.2%。 所属競馬場……福山〜高知〜福山〜高知〜荒尾〜福山 福山42戦 10-7-2-23 高知50戦 15-10-7-18 荒尾31戦 5-7-5-16 合計125戦 30-24-14-57 獲得賞金5,944,000円。 「アア」、つまりアングロアラブ。少し前までなら競馬新聞の馬柱の隅、血統欄に小さく付けられたりしていた表記。サラとアラブの混血で、アラブ血量25%以上の馬に対して使われた呼称。俗に「アラブ」と呼ばれ、サラとは別の番組、別の編成で同じ競馬場に共存していた馬種。今や昔話にしかならなくなった。 どうせそんなのまた、ほら、地方競馬だ

    ある競馬ウマのこと - king-biscuit WORKS
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    consigliere 2013/08/12
    切なくて良い話だった
  • 皇帝ルドルフ崩御――附 白山大賞典・結果 - Cask Strength

    どのスポーツでもそうなのですが、歴史に名を残す偉大な選手と同時代を生き、その選手を実際に観戦していたというのは、何ものにも代えられない経験なのですよね。 「後生畏るべし」なんて言いますが、少なくとも、スポーツジャーナリズムの世界(あるいは我々素人の、酒場でのスポーツ談義)ではそれは全く無縁の言葉でしょう。私たち若輩者は逆立ちしても諸先輩にはかなわない。若い競馬評論家がどんなに「アグネスタキオンはめっちゃ速かった」「ディープインパクトは日史上最強」とはしゃいでも、上の世代が「いや、シンザンの方が強かったよ」と言ってしまえば、それで議論終了。私たちに残された道は「でも、時代も、状況も違うので一概に比較は・・・」と口を濁すことだけだ。 私より少し上のシービー・ルドルフ世代の方々が、最高の讃辞としんみりとした追悼の言葉を献上しているのを見ると、陛下を目の前で観戦できなかったということについて、如

    皇帝ルドルフ崩御――附 白山大賞典・結果 - Cask Strength
    consigliere
    consigliere 2013/02/03
    シンボリルドルフ号最晩年の雄姿の写真とともに
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