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historyとsealに関するconsigliereのブックマーク (3)

  • ハンコとサイン(矢越葉子) | 八木書店グループ

    ハンコとサイン(矢越葉子)正倉院文書のハンコ 昨今、行政手続き上の「脱ハンコ」が話題になっているが、現代では納税や婚姻といった公的な手続きのみならず、会社や銀行での事務手続き、果ては宅配便の受け取りや子供の学校の連絡帳にまで印が利用されている。このように「ハンコ文化」と称されるほど印が広く一般に利用されるようになったのは近世以降とされるが、それ以前の社会ではどうであったのか。 古代におけるハンコ(印)の利用を考える上で手がかりになるのが奈良・正倉院宝庫に伝来した正倉院文書である。周知の通り、日最初の印は後漢の光武帝から建武中元2年(57)に贈られた「漢委奴国王」の金印であるが、その次に現れる実物の印は正倉院文書中に残る大宝2年(702)の筑前・豊前・豊後の三国の戸籍(西海道戸籍)に踏印された諸国印である。同じく大宝2年の戸籍としては美濃国の戸籍(御野国戸籍)も現存しているものの、こちらに

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  • 御笠団模造印見つかる 古代大宰府に配備された軍団の銅印 所有権騒動裏付け | 西日本新聞me

    古代大宰府に配備された御笠(みかさ)軍団の銅印「御笠団印」(国重要文化財)の模造印が、県内で見つかった。1927(昭和2)年に太宰府市で出土した御笠団印をめぐり、当時の新聞に「所有権騒動で模造印5個が作られた」とする記事があり、今回見つかったのはその1個とみられる。当時の騒動を裏付ける物証となりそうだ。 見つかった模造印は高さ約5センチ、印面約4センチ四方で、小郡市の男性(63)が骨董(こっとう)収集マニアの知人から入手。知人は「福岡市内の旧家の屋根裏から見つかった」と話したという。 九州歴史資料館が蛍光エックス線分析装置で調べたところ、古代にはほとんどない亜鉛を検出。古色の保全用に使われる現代の絵の具成分も出なかったことから「昭和初期に作られた可能性が高い」と判断された。 物の御笠団印は、昭和初期に太宰府市国分の桑畑で農家により偶然発見された。古代郡名から採った「御笠團印」の4文字を2

    御笠団模造印見つかる 古代大宰府に配備された軍団の銅印 所有権騒動裏付け | 西日本新聞me
  • 徳川家茂・慶喜の印 実物見つかる 外交文書に使用 | NHKニュース

    今から150年余り前、幕末の将軍、徳川家茂と慶喜が西洋諸国との間に取り交わした外交文書に使用した印の実物が確認されました。調査にあたった専門家は「江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。 東京大学史料編纂所の保谷徹所長などが調べたところ、幕末に西洋諸国との外交が始まったあと、14代将軍の徳川家茂と15代将軍の慶喜が国の代表として外交文書などに使用していた印の実物と確認されました。 この印は安政5年、西暦1858年に結ばれた日米修好通商条約の批准書などに将軍の署名とともに押されたことが、残された書面から確認できますが、実物がどこにあるのかわかっていませんでした。 保谷所長は「今回見つかった印は、将軍が当時の日の主権者であることを明らかにするために使われた。江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見

    徳川家茂・慶喜の印 実物見つかる 外交文書に使用 | NHKニュース
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