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歴史に関するcrowesannyのブックマーク (6)

  • 世界史講義録

    『世界史講義録』に、文章の整理と校正をほどこして、ほぼ完全書籍化。 107回以後は書き下ろし。2分冊となりました。 皆さんに重宝されるになることを願っています。枚数制限なしで出版をしていただいた学研教育出版さんに感謝。 これは、私の高校世界史の授業を記録したものです。語り中心で、生徒達に世界史の面白さを伝えようと意識した授業です。あらゆるネタをかき集め、時には、俗説、珍説、奇説、私説をまじえながら、「見てきたような」話で生徒を引きつけようというわけです。脱線話も含め、可能な限り忠実な再現を試みています。ですから、少々くどいところもありますし、各ペ−ジは、長文です。しかし、実際の授業の雰囲気を伝える手段と考えています。世界史の面白さ、楽しさを、伝えることが出来れば幸いです。(1999.3.19) 金岡新 世界史講義録 第1回 最初の授業(1999.4.12) 第2回 人類の登場(1999.

    crowesanny
    crowesanny 2021/11/17
    第一話めちゃくちゃ面白かった!
  • 南泰山先生と歴史談義(1)〜弥生時代の始まり編

    Koichi Kawakami, 川上浩一 @koichi_kawakami おもしろ〜い。 「九州北部では上陸後も渡来人の人口があまり増えず、むしろ四国や近畿などの地域で人口が拡大したのではないか」 こちらには、遺伝研出身の神澤博士の研究が紹介されています。”縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く” brh.co.jp/publication/jo… これらの研究の基盤はPCRです。😊 twitter.com/s_kajita/statu… pic.twitter.com/PCdDMwgxbz

    南泰山先生と歴史談義(1)〜弥生時代の始まり編
  • 死者の声を運ぶ小舟 (Published 2020)

    広島の原爆の日は8月6日。長崎は8月9日。そして終戦の日が8月15日。日にとって8月は、死者を思う季節である。 当なら今年、75年めの原爆の日を、私たちは東京オリンピックの期間中に迎えるはずだった。しかし、新型コロナウイルスの蔓延によりオリンピックは延期され、思いがけない静けさの中で人々は、死者のために黙祷を捧げることになった。 1964年の東京オリンピック大会で聖火の最終ランナーを務めたのは、19歳の、無名の陸上選手だった。その青年は、原爆投下の当日、広島で生を受けていた。真っ白いランニングシャツと短パンを身に着け、聖火台に続く長い階段を駆け上がる彼の姿は、実に清潔で、均整がとれ、全身に若々しさが満ちあふれていた。この映像を目にするたび、敗戦からわずか19年で、世界中の人々が集まるスポーツの祭典が日で催された、という現実に驚かされる。人類が経験したことのない徹底的な破壊の中から誕生

    死者の声を運ぶ小舟 (Published 2020)
  • ベアテ・シロタ・ゴードンさんロングインタビュー

    「あの日」を回想して思うこと。 GENERATION TIMES編集長 伊藤剛 実に6年ぶりに「あの日」のインタビュー原稿を読み直しました。読み終わって心の中に浮かんだのは、「感謝」と「後悔」という二つの言葉。感謝というのは、言うまでもなく、見ず知らずの自分に対して、とても素直に、時に笑いも交えながら、最後は思いの丈をぶつけるかのような熱を持ってベアテさんが話してくれたこと。後悔というのは、もう二度と彼女に質問をすることができないという圧倒的な事実に対して。今なら、今だからこそ、唯一の生き証人であったベアテさんに聞いておくべきだったことがまだまだある気がしてなりません。あの日の自分の未熟さへの強い後悔です。 ベアテさんにお会いしてから、今もなお余韻のように僕の心象風景として残っていることは、彼女の「ふつうさ」です。それは、僕自身が勝手に抱いていた「GHQ」とか「憲法」というものへの強い偏見

    ベアテ・シロタ・ゴードンさんロングインタビュー
  • 特集ワイド:「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ - 毎日jp(毎日新聞)

    危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】 ◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う> 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日テレビ社長だった正力松太郎氏(1885~1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日

  • 歴史上の重要なスピーチがMP3でまとめられているサイト - IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ ~

    ドットインストール代表のライフハックブログ

    歴史上の重要なスピーチがMP3でまとめられているサイト - IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ ~
    crowesanny
    crowesanny 2008/03/07
    ディクテーションの練習にいいなあ
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