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人生に関するcubed-lのブックマーク (110)

  • 独りでいた時に声をかけてくれた人 - うどんこ天気

    高校の頃は、朝に家を出て、電車に乗って終点まで行って帰っていた。学校が嫌だった。そうすると出席日数が少なくなりすぎて先生が怒った。それを聞いた親も怒った。仕方が無いので、無理やり行くようにした。行かないと家に連絡があった。頭がおかしくなりそうだった。行っても誰かと話すわけでもなく、机で難しいを読んで授業聞いて寝ていた。周囲は楽しげで明るくて話をしたり何をしていた。雑誌があって。お弁当があって。リップクリームがあって。笑い声。雑談の声。自分が笑われているような気がしていた。私は独りで、ここで、無愛想な顔で、暗い空気を振りまきながら居る私は、どうしようもなく陶しそうな存在だ。私のようなのが存在しているということが、上下に敏感でない人にも上下を思い出させるから、いらだたせるのだろうか。私のようなのが存在していることで悦ぶ人は自分の醜い部分を直視してそれを直視したくないがために「お前のために言

  • 交通事故で逝った妻が不倫をしていました 妻を熱愛していた故に壊れてしまった夫の物語 - 天漢日乗

    実話なら、大変辛い話。 合掌。 浮気をしてしまった part32スレッドより。 223 :名無しさんといつまでも一緒 :2007/01/29(月) 10:38:34 0 ちょっと静かなんで友達の会社の上司に起こった話を投下。 1年くらい前の話な。 また聞きなんで推測で書いてる所は理解してくれ。 友達会社上司=旦那さん(40) (38くらい) 旦那さんとは共通の友人がきっかけで結婚。 どうやら不妊で子供はいなかった。 でもとても仲良くて旦那さんのデスクには 二人の2ショットの写真が置いてあったらしい。 しかしに変化が訪れる。 残業が増え飲み会が増え急にお洒落になり携帯を頻繁にいじりレスになる。 旦那さんも変だと思ったようで友人相談したらしい。 でも浮気と確証があるわけでもなく まだを信じているから様子を見ようと思った矢先、 は事故死(交通事故)してしまった。 224 :名無し

    交通事故で逝った妻が不倫をしていました 妻を熱愛していた故に壊れてしまった夫の物語 - 天漢日乗
    cubed-l
    cubed-l 2007/01/29
    救いがない
  • http://yaplog.jp/tubuyaki3/archive/106

    http://yaplog.jp/tubuyaki3/archive/106
  • 包丁で刺されそうになったりする話(私がでは無い) - うどんこ天気

    ある友達がいるのですが彼女は真面目な人です。でした。誰かにムッとする嫌な事を言われても「相手はでも自分のためを思って言ってくれているんだから」「確かにきつい言い方だとは思うけど、でもそれは正しいことだと思うから」「私が悪いんだったら変えなくちゃいけないよね」と言いながら頑張る人で。 共通の友人でいつも正論を言う人って言うのがいて。えーと適当に名前付けます。正論ちゃん。 私は、正論ちゃんの話に言い返して「正論を毎度あんたは言うけど、いきなり、それ言われる相手の立場になって考えたこと有るん?」「正論だから相手が受入れるべきだって言う価値観はそもそもどっから来てんのよ、アレかみんな成長したいと思ってるんだ!とか欠点は指摘し合わねばいけない!とか人間は正しくあらねばいけない!とか人間は完璧にならねばいけない!とか思ってるわけじゃねーだろーなーコラーッ」「チンタラ生きたい人間だっているんだよ!私はメ

  • 「適応」を現在完了形で捉える人は、道を誤るだろう - シロクマの屑籠

    (メモ→) 私の考えるところの「適応」というものは、現在完了形で表現されることが無い。彼女が出来たとか、結婚したとか、就職したとか、脱オタしたとか、そういった節目の突破をもって「俺は適応した」となどと表現するのは適切ではないと考える。 そうではなく、「今、この環境に適応している」といった具合に、「適応」は常に現在進行形ので捉えるのが適当だ。彼女が出来た。そりゃめでたい。だが、それがゴールかというと違うだろう。結婚にしても就職にしても同様だ。これからの結婚生活なり仕事生活なりの流れのなかで、あなたと環境との連関は常に問われ続ける。任意の瞬間において、彼女と自分との関係は現在進行形で、もし女性との友好的な関係が続いているんだとしたらそれは「適応した」という現在完了形ではなく「今も適応している」という現在進行形で表現するのが似つかわしい。「彼女に好きと言われた」のごとき現在完了形的宣言は、過去の

    「適応」を現在完了形で捉える人は、道を誤るだろう - シロクマの屑籠
  • とりあえず 死刑の現場とは

    死刑廃止問題を論じてきたが、実際に手を下すのは死刑執行人(刑務官)だ。私達は「死刑はやむを得ない」といっておけば、それだけでなんだか正義が実現されたような気にもなり、場合によっては仇討ちを助けたかのような安心感を得るかも知れない。 しかし、死刑が執行された場合、最初の犯罪も残酷なら、死刑という次の死も残酷だということはないのだろうか。死によって得られるものが当にあるのか。実際に死刑を執行する刑務官はどう思っているのか。 「死刑執行人の苦悩」(大塚公子:創出版)は衝撃的なだった。 著者の大塚公子さんは、現役の刑務官から話を聞くことはできなかったので、退官された方へのインタビューからこのを書かれた(そのため、若干情報が古いことをあらかじめお断りしておく。もちろん死刑の質が変わるものではないことも)。 ◆ 死刑執行とは 夕方の拘置所、黒塗りの車がすっと止まると、風呂敷包みをもった検察事務

    とりあえず 死刑の現場とは
  • 老後がこわい - 新・整腸亭日乗

    香山リカ『老後がこわい』は、シングル女性の老後問題を自らの体験として述べており、かなり説得的に問題の所在を指摘している。 老後がこわい (講談社現代新書) 作者: 香山リカ出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/07/19メディア: 新書購入: 6人 クリック: 29回この商品を含むブログ (44件) を見る 老後に係わる、「年金」「病気」「介護」「孤独死」「葬儀」「墓」「遺骨」から「ペット」に至るまで言及している。シングル女性が、一所懸命に働きながらも、40代を過ぎると結婚式よりも葬儀の出席が増えるという。つまり、「老後問題」が身近になる。家族制度が核家族構成への変化により、子どもは一人ないし二人になっている。シングル女性のうちパラサイトしている場合、親の介護問題に直面する可能性が高い。 負け犬の遠吠え 作者: 酒井順子出版社/メーカー: 講談社発売日: 2003/10/28メディ

  • エディ・ゲーデル - Wikipedia

    エドワード・カール・ゲーデル(Edward Carl Gaedel , 1925年6月8日 - 1961年6月18日)ことエディ・ゲーデルは、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の野球選手。左投げ右打ち。セントルイス・ブラウンズに所属し、1951年に1試合のみ出場した。 小人症であったゲーデルの身長は3フィート7インチ(約109センチ)[1]。公式に記録されているわけではないものの、メジャーリーグ史上最も背の低い選手である。ゲーデルの出場をめぐる逸話は、野球史に残る珍事の一つとしてファンに記憶されている。 野球人生[編集] 1951年8月19日[編集] 1951年8月19日、スポーツマンズ・パークで行われたセントルイス・ブラウンズとデトロイト・タイガースのダブルヘッダー第1試合終了後に、アメリカンリーグ創設50周年記念のアトラクションとして小さな劇が上演された。内容は、ウィリアム・シェイクス

  • 2006-08-31

    絶叫機械+絶望中止(8/31)「小さなウソほど難しい」 http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20060831#p1 とても考えさせられるエントリ。 戦場で「誰か(例えばそれは母親とか恋人とか「日人」とか)のために死ぬ」という物語は非常に美しいのだけれど、実際はそういうのって、「死ななければならない」「死ぬしかない」という状況に置かれている人間が、「○○のために」という「付加価値」みたいなものを後付けして自分を納得させているだけなのかもしれません。もちろん個人差はかなりあるのだろうけど。でも、「誰のためでもなく、ましてや、自分のためにでもなく死んでしまう」っていうのは、やっぱりあまりにも悲しすぎる。 そして、これを読んで僕はちょっと思い悩んでいるのです。 僕は、何のために仕事をしているのだろう?と。 患者さんのため? お金のため? 自分の存在証明のため?

    cubed-l
    cubed-l 2006/08/31
    我々は何処から来たのか。我々は何者か。何処へ行くのか
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - 風力で動いてます

    さて題。14日のエントリはそれだけで独立はしているけれど、前フリ。「一人称による経験の表明は検証不要/不可能」というのが、先のエントリのキモ。たとえばストーカーが、(つけ回している)「相手から愛されている」というようなことを主張しますが、それはストーカー人にしてみればホントウにそうなのであって、単純に真実愛されちゃってると感じているだけなのであり、周囲の人間が「そんなわけない」とかあれこれ言っても意味がないことなのです。オバケとか見ちゃったひとも同じ。見ちゃったもんはしょうがないのであって、なんと言われようとも「ホントウだってばー!」なのです。 で、みちアキは「世界に愛されている」と感じている人なのですが。 …………。 ホントウだってば! ありありと実感としてそれはあるんだって! 別に、やたら運がいいとか、特別な配慮や采配を感じる、というのではなく、人に愛されるのとまったく同じように、

    「で、みちアキはどうするの?」 - 風力で動いてます