産経新聞は、 「検定は沖縄集団自決について軍関与を否定しているわけではない」 という従来の主張 例えば、http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/91802/ この問題では、当初から誤解や論点のすり替えがあった。沖縄県民大会で、仲井真弘多知事は「日本軍の関与は、当時の教育を含む時代背景や手榴弾(しゅりゅうだん)が配られるなどの証言から、覆い隠すことができない事実だ」と述べた。6月の県議会でも、「集団自決は日本軍の関与なしに起こり得なかった」とする意見書が採択されている。 だが、検定は軍の関与まで否定してはいない。また、検定は「軍命令がなかった」と断定しているわけでもない。 こうした主張をなぜ突然変えてしまったか? というのは、上の『主張』に反する次のような詭弁を10/24 の『正論』として掲げたからである。 し
この話は前から同じことを考えていたので、ちょっと書いてみる。 「差別・偏見は常に絶対悪」という考えも危険 (id:andalusia) そもそも、私たちは社会で生きていく中で、意思決定を早めるために推論(ヒューリスティック)を利用することが非常に多いです。学校での試験の問題みたいに決まった答えがあるわけではない問題に対して、ヒューリスティックな手段は有用で不可欠です。しかし、ヒューリスティックな手法は、そもそもバイアスと裏表です。偏見を全く持たずに生きていくことはできないし、もし仮にそんな人(ヒューリスティックな手法を放棄した人)がいたとしたら、無知で無能でクズ。アホでバカ。低脳でワーキングプアだと私は思います。 すんません、無知で無能でクズでアホでバカで低脳でワーキングプア、に近い id:raurublock です。 いや、真面目な話、私はこの手の「論理によらないヒューリスティックな推論
以前から私は指摘していますが、現在の日本では一度のミスは取り返しのつかない世の中になっているんじゃないだろうか?と。例えば刑事事件の被告人。 一度前科がついた人がどうなるか、を皆さんは知っているのだろうか。 刑務所にはいって出てきた彼らはどう扱われているだろうか。ここは百歩譲って、犯罪者なんだからそのように扱われて当然じゃないか、とでも言う人に耳でも傾けましょう。 でも、犯罪者であっても懲役あるいは禁錮でもいいですが自由を奪われて国家のもとに強制的な状態下に置かれること自体は犯罪者であるのだから甘受するべきとしても、なぜその強制の解かれた以後に、社会的な差別を受けなければならないの? あえて差別と書きます。 なぜかといえば、これは合理的な区別ではないもの。彼らは社会に復帰した以後にも、就職が十全に出来ている世の中でしょうか。私にはどうにも、そのようには見えてこない。 最近の亀田一家の問
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
沖縄戦で、「集団自決」と対を成すものは、「軍による住民虐殺」です。 民衆は軍隊を守ろうとした。 でも、軍隊は民衆を護れない。 軍隊が思う存分闘うには、少なくとも 民衆の力を頼らず、民衆の目に触れないところで闘うしかない。 「軍」はなぜ「民」を護れないのか? 沖縄戦は、 「机上の有事」がいかに大きな災厄をもたらすか、 その絶対的な教訓です。 長年「沖縄県史」編纂に従事していた大城将保氏が掴んだものは、 下記表のとおり。 「集団自決」と「住民虐殺」の事例 「集団自決」も「住民虐殺」もこれまで国も県もまともな調査を行ったことはない。したがって発生件数も犠牲者数も公式の数字というものはない。それでも県史や市町村史、新聞、雑誌などには体験者の手記や証言として両事件に関する記事が散見される。管見(かんけん)の及ぷ限りそれらの情報を集めて、なるべく現場に足を運んで確認したものが次の一
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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