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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (4)

  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

    自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また
    cubed-l
    cubed-l 2008/11/18
    こういう体験を繰り返すうちに「亀の甲より年の功」を実感するようになった
  • ネガティブコメントってこんな感じ? - 深く考えないで捨てるように書く、また

    街を歩いていて、別に普通に友達となんか話しながら歩いていたら、突然遠くから知らない人がつかつかと近づいてきて「お前、ひどい奴だな。人格を疑うね」とか一言浴びせられて、またその人はさっさと去ってしまった。言われた方はびっくりするやら、腹が立つやら、怖いやらで涙目だけど、だいたいあの人誰よ? 全然知らない人だよ、なんで関係ない人にあんなこと言われなきゃなんないんだ、みたいな。 一方。 街を歩いていたら、あちらで、なにか仲間内でひどいことを話している奴らがいて、それで楽しそうに笑い合ったりしてるもんだから、ひどい奴らだな、あんな無茶苦茶な内容のことで笑えるなんて頭どうかしてんじゃないのか? と思ったので、他人事とは思いながらもスルーできずに「お前らひどいな、人格を疑うよ」と口に出してしまったら、それが相手に聞こえて、相手がなんか怒りだしたり泣きだしたり。まあでも所詮関係ない他人なので、一人で怒っ

    ネガティブコメントってこんな感じ? - 深く考えないで捨てるように書く、また
    cubed-l
    cubed-l 2007/10/01
    本人の感覚としてはそんな感じなのかも。本当はとんでもない大声なので内輪の話に留まらないんだけどね
  • ネット知人は友人にならない - 深く考えないで捨てるように書く、また

    それなりにネット歴も長いので、ネットで知り合った知人はまあまあたくさんいる。中には15年以上のおつきあいになる人もいる。 しかし、その中で友人といえる間柄になった人は一人もいない。もうすこし正確に言うと、私から見て友人友達といえると思う人は一人もいない。 私にとって、迷いなく友人といえるのは、学生時代に知り合った人々のうちの何人かだけだ。今では遠方に行ってめったに会うこともなく、電話やネットを含めても言葉をかわすことも少ない人もいるが、しかし今でも友人だと感じている。 だからといって、ネットで知り合った人たちとの精神的距離が遠いかというと、そうでもない。ネットにいる限り、いろいろと話をする機会は多く、むしろ友人には話さないような腹を割った話をすることもある。罵倒コミュニケーションを気軽にとれるくらい親しく話しあう人もいる。 しかし、それでも、彼らを友人と呼ぶことにためらいがある。 このよ

    ネット知人は友人にならない - 深く考えないで捨てるように書く、また
    cubed-l
    cubed-l 2007/06/26
    俺はむしろネットで知り合った人の方が気が合う人が多い。嫁もそうだしな
  • 属性を嫌うのは結局楽な道なのだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また

    属性を嫌ったり憎んだりするのは、実は楽なんだ。その相手人と直接対峙しなくて済むから。 この歳になると、ひと人と対峙することがそう苦痛でなくなって、誰かを嫌ったり憎んだりすることも自分自身の重荷として直接自分で担えるようになったから*1、属性だけで判断しないようにしよう、という心がけができるようになった。しかし、やはり若いころというか、思春期にはなかなかそうはできなかった。 男は云々。大人は云々。社会は云々。etc. レッテル貼りともちょっと違う。レッテル貼りは、まずそこに一人の人がいて、その人をジャンル分けしてそのジャンル・属性で判断する、という行為。 属性を嫌う、憎むのは、そこに人がいてもいなくても、その属性自体に対して判断している。つまり、実際に存在する人を嫌ったり憎んだりしなくても済む。 人を嫌ったり憎んだりするのは、やはりネガティブなエネルギーを発するものだし、それに伴う罪悪感

    属性を嫌うのは結局楽な道なのだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また
    cubed-l
    cubed-l 2007/04/10
    嫌うのも好きになるのもパワーが要るしね
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