原発に関して、「誰か(具体的には復旧に当たっている東電社員や自衛隊員)が命や健康を犠牲になれば、原発自体は全く危険なものではない」という言説が散見できる。即ち「危機的な状況に陥っても、復旧作業を行えば何も地域全体が危険にさらされることはない、もちろんその復旧作業には危険が伴うが」と。 しかし、そのような、「緊急時には誰かが危険を伴う作業をしなくてはならない、あるいは命を犠牲にする覚悟を持たなくてはならない」ようなシステムは、そもそもシステムとして自己犠牲を内在化しており、その点においてこのシステムは全体として欠陥である。ゆえに、現時点において(あくまでも現時点において)原発というものが、いざというときにそのような犠牲を必要とするのであれば、そのようなものは消えてしまえばいい。 そして犠牲者は英雄となり、英雄となるという事実があることで犠牲は社会において再び要請される。映画「ハルマゲドン」で