ほんとにヤバくなってギリギリになるまで相談しない人々: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/03/post-1da9.html いつも予防線が突破されるので、いずれにせよ年がら年中修羅場になってるわけだが、 修羅場をこなしているうちに、常在戦場みたいな組織が出来上がって、 毎日ラットレースをしている敗戦処理のエキスパート軍団ができちゃう。 戦況だけ見ると実に見事に負けてるんだけど、 担当した局地戦だけはどうにかなっちゃってるというような。 そういう組織は、人が内部から壊れていく。鬱になったり、病気になったりする。 まあ、発展性のない業務に長時間据えられて、 強いストレスに晒されながら安い給料で働くわけだからねえ。 一個一個のデスマーチは、マーチである限り終わりはあるわけだけど、 デス
前の記事 迷惑メールは儲かる:1日40万円の売上げも 東京で無言の「すれ違い通信」が流行る理由 2009年10月 6日 Chris Kohler Photos: Jon Snyder/Wired.com 東京発――秋葉原にある巨大なヨドバシAkibaの外では、数百人に上るゲーマーたちが、珍しいキャラクターやバーチャルな宝物を求めて毎日集まっている。 集まったゲーマーたちは、歩道を確保しようとする店員らによって安全柵の中に誘導され、専用に確保された場所で押し合いながら立つ。誰もが『ニンテンドーDS』を手にして、今年最もホットな新作ゲーム『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』[開発元はレベルファイブ、発売元はスクウェア・エニックス]に没頭している。 彼らは他のアバターと会うため、そして望むらくは貴重な宝物を集めるために、キャラクターのデータを交換し合っているのだ。 「ここにはみんな、朝のすごく
初めて彼女と会ったのは関係者用の休憩室だった。コーヒーを飲みながら誰かが置いていったファミ通を読んで時間をつぶしていたら、目の前にどっかと彼女がすわった。たばこに火をつけて、ふーっと煙を吐くとおもむろにこちらを向き、 「アイツらまじキモいでしょ?キモすぎでしょ?」 と話しかけられた。そこで初めて、彼女が同じブースで大量のアマチュアカメラマンに囲まれていた女性だと気づいた。笑顔でモデル立ちではなく、眉間にしわを寄せて足を高く組んで座り、たばこを呑む姿は、別人にしか見えなかった。 「えーと、アイツらってカメラの人たちですか?」 「全部、全員。必死にゲームやったりとか、まじキモい。あと臭い。」 「なるほどー(どうしよう……)」 彼女はふと僕の手にあるファミ通に目をとめた。 「それもキモいの?」 僕にはなかった発想だが、なるほど確かに彼女からみれば、気持ち悪いのかもしれない。 「いや、そんなでもな
The Linear RPG Sophie Houlden の The Linear RPG は,最低限の構成要素によって構築された RPG だ。プレイヤーは直線の上を進むか戻るかすることができる。直線上を移動していると,勝手に戦闘が発生したり,勝手に経験値を得たりする。直線の各所に配置されている点は「町」で,跨ぐことによって体力を回復することができる。ストーリーは背景で勝手に流れているので,読んだり読まなかったりすればいい。 このゲームは,いわゆる「一本道な RPG」の抽象的な表現とみることができる。非常にシンプルな内容であるにもかかわらず,それなりの達成感を得ることができるとの意見も存在する。 Progress Quest Eric Fredricksen の Progress Quest は,プレイヤーのステータス情報のみによって構成された RPG だ。プレイヤーはキャラクター作成を
「機動戦士ガンダム」の監督として知られる富野由悠季さんが9月2日、パシフィコ横浜で開かれているゲーム開発者向けイベント「CESA Developers Conference 2009」(CEDEC 2009、3日まで)で、「慣れたら死ぬぞ」と題した基調講演を行った。 「僕にとってゲームは悪」「CGの絵は、はっきり言ってつまらない」など、歯に衣着せぬ言葉でゲーム業界やCGを痛烈に批判しながらも、昨年語ったプロ論(「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る)と同様、「あのジジイ(富野氏のこと)を黙らせてやろうと考えてくれ」などとクリエイターを鼓舞する“富野節”に、詰めかけた来場者はわいていた。 アニメ制作は、映像業界で最下等の仕事だった 講演テーマ「慣れたら死ぬぞ」は、口をすべらせた言葉がたまたまタイトルになったということが実情ですが、基本的にはお話できると思います。 まず
競争はそれ自体に価値がある〜「競争」と「自由」 2008年2月20日 経済・ビジネス コメント: トラックバック (0) (これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら) 経済社会について語られるとき、必ず登場するのが「競争」である。その多くは、「競争は社会を良くする」、という文脈で語られる。しかし、「なぜ競争は良いことなのか」、ということの答えは一枚岩ではなく、さまざまな答え方がある。そこで今回と次回では、このことについて、改めて愚直に問い直してみたいと思う。とりわけ、経済学者・鈴村興太郎が主張している「競争はそれ自体に価値がある」という斬新な説について解説しよう[*1]。 競争の利点としてよく言われるのは、以下のようなものである。 第一は、競争には「無駄を嫌う」と性質がある、ということだ。もしもどこかに経済効率の意味での無駄があるなら、そこには利益獲得のチャンスが生じて
2008-03-04 - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定) リンク先のタイトルは“質問”となっているが、どうあれ、reponさんという人はdankogaiさんに身銭を切れと言っているわけだ。しかし、その際のモノの言い方があまりにも無神経で、ぎょっとせずにいられなかった。 dankogaiさんが、「君の年収分を賭けても良い」*1などと書いた以上、その言質を確かめるという意味でも、金銭(または、もっと大切な何か)を拠出するようにモノ申すというのは、別に悪いことではないと思う。また、後半パラグラフの、職場環境に関する独白についても、とやかく言う筋ではない。 しかし、幾ら相手が「君の年収分を賭けても良い」と言ったとはいえ、人に身銭を切らせる際に、この作法はどうなんだろう?浮かれるのは分かるし、自分のエントリを支持してくれた人にフィードバックをというのも分かる。分かるんだ
Thank you for visiting nature.com. You are using a browser version with limited support for CSS. To obtain the best experience, we recommend you use a more up to date browser (or turn off compatibility mode in Internet Explorer). In the meantime, to ensure continued support, we are displaying the site without styles and JavaScript.
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く