ギャラリーの写真が増えました。 みてくださ〜い☆ 875CLUBのメルマガで 書かせていただきましたが、 安倍総理の辞任ニュースは、 下関出身の我が家にとって、 かなりの激震でした。 昨日は、同情論が我が家(下関に住む祖母も含む)で多数を占めていましたが、 一日過ぎると、人間っていろいろと感情が複雑さを増すようです。 ママは 「もし、私が奥さんだったら、辞任なんて、みっともないって言っていたわ。 それでも、本当に体調が悪くて身がもたないなら、 国会で、演説中に倒れる。という演技をしなさいって 意地でも引っ張りだしたわ!!! これじゃぁ、情けないったらありゃしない! 国民はおろか、APECで約束してきた外国の首脳達にも恥ずかしい。 せめて、嘘でも、『最後の力を振り絞って、つき果てるまで、政治家だった』 というパフォーマンスをするべきだったのよ!」 と、晩御飯中に憤慨していました。 ちょっと、
あるお仕事で、原稿を書くことになっているが、 その資料として、 いろいろな文献をあさっている中、 『ホワイトハウススキャンダル』(扶桑社:ロナルド・ケスラー著) というものを見つけた。 歴代大統領 (ジョンソン→ニクソン→フォード→カーター→レーガン→ブッシュ→クリントン) のホワイトハウスでの行状が赤裸々につづられている。 ほとんどが、当時大統領に仕えていたシークレットサービスや執事からの 告白で構成されているので、 かなり、かたよった意見集となっているが、 表舞台で活躍していた大統領たちが、 ホワイトハウスでいかに好き放題、王様のように振舞っていたかが、 ゴシップ的にいろいろと書かれているので、 ざ〜っと読むのには、おもしろいかもしれない。 世界一の国のトップなんだから、 少々のことは、大目にみてあげてもいいんじゃない?とは思っていたが、 各大統領共に、 破廉恥なことをしまくっている。
今年は、日中戦争の開戦からも70周年だ。これについても多くの本が書かれているが、本書の視点は明確だ。第1のポイントは、副題にもあるように、日本軍が日清・日露戦争において短期の殲滅戦で勝ったため、消耗戦や総力戦の体制ができていなかったという点だ。 おそらく、それを認識していたのは石原莞爾ひとりだっただろう。しかし彼にとっては来るべき対ソ戦に備える橋頭堡だった満州から、南に戦線が拡大する予想外の展開になったとき、戦局は彼にもコントロールできなくなった。しかも系統的な補給を考えなかったため、南京事件のような略奪を各地で繰り返した。ここでも、「首都南京を叩けば、蒋介石は戦意を喪失して降伏する」という殲滅戦の発想が抜けなかった。 これに対して蒋介石は、南京を脱出して首都を重慶に移し、消耗戦の構えをとるとともに、南京で日本軍の行なった「大虐殺」を海外にアピールする宣伝戦を展開した。この結果、それま
社会主義とはなんなのか。共産主義とはなにが同じで、なにが違うのか。 わかっているようで、意外とわからないテーマです。 このテーマを歴史的かつ国際政治的に解明した書『民主社会主義への200年』(一藝社刊)が出ました。いまの世界の思想を理解するにはきわめて有益な書だと思い、ここで取り上げることにしました。 副題は『フランス革命からポスト冷戦まで』。 著者は日本での社会主義研究の権威、関嘉彦氏です。 関氏は2006年5月に93歳で亡くなりました。都立大学の教授から民社党の結党にもかかわり、民社党選出の参議院議員をも務めました。 関氏は河合栄次郎門下のりべラリストで、自由民主主義への信奉という立場からマルクス・レーニン主義の全体主義の教えには批判的でした。その一方、複数政党性を認める民主社会主義にも理解を示していました。 東西冷戦中、日本の知識人の多くが米国とソ連のイデオロギー面での
第1回 5/26(土)14:00〜 「ジュンク堂と私」 満員御礼 第2回 6/2(土)14:00〜 「『自壊する帝国』ができるまで」 満員御礼 第3回 7/7(土)14:00〜 「国家とは」 満員御礼 第4回 9/8(土)14:00〜 「神学とは」 満員御礼 第5回 11/3(土)14:00〜「チェコの思想とドストエフスキー」 満員御礼 第6回 12/1(土)14:00〜「半年をふりかえって 閉店のことば」 満員御礼
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デイヴィッド・ハルバースタムが、交通事故で死去した。 ノンフィクションに古典というものがあるとすれば、本書は間違いなく、その1冊である。原著が出てから40年近くたつのに、アメリカは本書で描かれた病から脱却できないようにみえる。それはEasterlyがWolfowitzを評したのと同じ、他国に「正義」を押しつける傲慢という病である。 自由経済や民主主義が、アメリカという特殊な国家で成功したからといって、それが世界のすべての国家で成功するとは限らない。それに適した文化的土壌のない国に無理やりアメリカ的レジームを移植しようとしても無理だし、そのために土壌からすべて取り替えようとしたら、国家そのものを破壊してしまう。 ハルバースタムが指摘したように、この病にはユートピア主義とエリート主義という二つの原因がある。自国の制度が普遍的ユートピアであり、それを世界に布教しなければならないというナイー
日本資本主義論争といってもピンと来ない人が多いだろうが、戦前に日本の知識人を二分して行なわれた大論争である。簡単にいうと、日本はまだ封建社会であり、まずブルジョア革命が必要だとする講座派と、日本はすでにブルジョア社会であり、社会主義革命が必要だとする労農派の論争だが、戦後になって高度成長が軌道に乗ると、こういう後進国としての問題意識が薄らいで、うやむやになってしまった。 ただ日本の知識人には、モデルとしての欧米からいかに遅れているかという観点から自己を意識する傾向が強い。大塚久雄も川島武宜も講座派の影響を受けており、マルクス主義から距離を置いた丸山真男にも「自立した市民」を理想とする講座派の影響は色濃い。こうした後進国意識は、「グローバル・スタンダード」を主張する一部のエコノミストや、欧米の基準で日本の「性奴隷」を断罪する左翼メディアにも受け継がれている。 講座派の理論は、実は32年テ
世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて スポンサード リンク ・世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて 「私が本書で考えたいのは、資本=ネーション=国家を超える道筋、いいかえれば「世界共和国」に至る道筋です。」。評論家 柄谷行人著。 資本主義と国民国家というスキームでは、主役が資本であって肝心の人間が疎外されている。著者はこのスキームを超える世界観として、カントが提唱した世界共和国の概念にポストモダンの理想を追求している。 資本=ネーション=国家の基盤は貨幣を仲立ちにした交換様式である。この交換には非対称性が伴う。貨幣には商品と無条件に交換する権利があるが、商品には貨幣と交換する権利がない。商品は売れなければ価値がないからである。この非対称性が、資本の支配をもたらしている。 福祉国家資本主義、国家社会主義、リベラリズムという、既存の国家の形態に加えて4つめに、平等と自由を原理と
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