今年は、日中戦争の開戦からも70周年だ。これについても多くの本が書かれているが、本書の視点は明確だ。第1のポイントは、副題にもあるように、日本軍が日清・日露戦争において短期の殲滅戦で勝ったため、消耗戦や総力戦の体制ができていなかったという点だ。 おそらく、それを認識していたのは石原莞爾ひとりだっただろう。しかし彼にとっては来るべき対ソ戦に備える橋頭堡だった満州から、南に戦線が拡大する予想外の展開になったとき、戦局は彼にもコントロールできなくなった。しかも系統的な補給を考えなかったため、南京事件のような略奪を各地で繰り返した。ここでも、「首都南京を叩けば、蒋介石は戦意を喪失して降伏する」という殲滅戦の発想が抜けなかった。 これに対して蒋介石は、南京を脱出して首都を重慶に移し、消耗戦の構えをとるとともに、南京で日本軍の行なった「大虐殺」を海外にアピールする宣伝戦を展開した。この結果、それま
土曜日は、親しくしている私大教授を囲む夕食会に出席してきた。英文学、日本文学、更に出版会や大学の裏事情など、操縦桿しか知らない私にとっては、いつものことながらいい勉強になった。若い大学職員によると、いまや大学は“はしか”でてんてこ舞いだそうで、「“ゴールデンウィーク”に次いで“はしか休暇”、やがて“夏休み”となると、大学生達は何時勉強しているの?」と私が嫌味を言うと彼は頭をかいた。 昨日は、山梨で開催された「私大教授宅の園遊会」に招かれた。一部“黄砂”でかすんではいたが汗ばむほどの好天に恵まれ、40名近い大学教授や保守派物書き?先生方と共に、見事な日本庭園を眺めながら、しばし日本文化、銘酒、茶室での茶道を堪能した。錚々たる文化人出席者の中で、私はただ一人の“野武士?”だったが、談論風発、実に良い勉強になった。印象に残った面白かった話題を少し・・・ 1、中国国内を旅行してきた評論家が「夜の宴
諜報員たちの戦後 陸軍中野学校の真実 作者: 斎藤充功出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2005/07/15メディア: 単行本 クリック: 2回この商品を含むブログ (3件) を見る フィリピン・ルバング島に戦後約30年にわたり「残置謀者」として潜伏した小野田少尉を輩出したことで有名になった、陸軍中野学校に関するものです。日本刑法学会参加のための、名古屋への行き帰りの新幹線の中で読みました。 中野学校の人脈が、戦後も強固なものとして生き続け、そのようなネットワークが戦後の著名事件にも関わっている、また、知られざる部分で関わっていたのではないか、ということが描かれています。 やや憶測にわたっている部分も見受けられましたが、戦後の「闇」の部分に、中野学校出身者が関わっていたことは事実と思われ、参考になりました。
東亜連盟戦史研究所付属-戦後の教科書が教えたくない歴史の真実から萌えるフィギュアまで、お気に入りの役に立つコレクション・日本人のための情報・文献・破魔の三矢の論文等、ジャンルを問わず森羅万象あらゆる素敵な萌えるアイテムを揃えて日本国に貢献します!入手困難の第一次資料満載の戦史「戦争の天才と謀略の天才の戦い」国民のための大東亜戦争正統抄史1928―56が絶賛公開中!学校教科書を信じる者は公務員試験に合格しない! ・団塊世代の方々-在日外国人地方参政権付与法は中国の新植民地主義を助長します・NHKドキュメント「日中戦争」の凄まじい偏向 南京大虐殺は虚構である!・急いでチェック!あなたは既に洗脳されていませんか?
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