この本が届いたらすぐに読み、その感想文を「黙殺された名著がここに蘇った」と始めようと思っていた。そうしたら「文庫版のためのまえがき」冒頭で著者保坂和志が、 実際、九七年に出版されたときにも、一般の新聞雑誌ではいろいろ取り上げてもらったが、将棋界では一部の棋士の大絶賛を除いて黙殺に近かった。 と書いているではないか。 「黙殺」という激しい言葉は、あまりよく使う言葉ではないと思うのだが、著者も、一読者である僕も、この本から想起した言葉が「黙殺」だったとは・・・・・ この本は名著である。しかし出版後、本当に話題にならなかった。この本が提示した視点がさまざまな議論によって広がっていくようなことはいっさい起きなかった。保坂は続けてその理由を、 おそらく、「将棋が弱いド素人が書いた本などまともに読むに値しない。そんなやつに将棋の何がわかるか」と思われたのであろう。 思うにこの本が将棋界から黙殺された一
自動的に移動しない場合はをクリックしてください。
フォーサイト誌5月号「シリコンバレーからの手紙」(129)に書いた「生きるために「読み」 「書くこと」で生きる」 http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u129.html が、ネット上にアップされました。 ・・・・・・・ 『遠い太鼓』は、四十歳を迎えた村上春樹が、自らの三十代後半を振り返って書いた自伝的エッセイでもあり、独立の意志を固める時期にちょうど三十代後半にさしかかろうとしていた私には、年齢的にも共感し、影響されるところが大きかった。 「四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。(中略)それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。(中略)だ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く