タグ

ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (394)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: プロフェッショナル 仕事の流儀 荒瀬克己

    d1021
    d1021 2007/10/16
    →8/3特集 9/12王陽明P52「世間は落第を恥とするが、我は落第して心を動かすことを恥とする」。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 星間の人

    d1021
    d1021 2007/10/11
    夢中に夢を説くが如し。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: たくさんの水を蓄えて

    集英社の「青春と読書」に連載していた 『欲望する脳』が、この程同名の タイトルで集英社新書になる。 その関連で、長谷川眞理子 先生にお目にかかって対談した。 韓国から帰ってきたばかりの 長谷川さん。 進化論や、ダーウィン、 生命哲学の話であっという 間に楽しく時間が過ぎた。 生態系というものは、基的に 環境を整えて後は放置して おけば勝手に育っていく。 ある面積の溜まり水を用意して おけば、いつの間にかメダカが 来て、アメンボが這い、 水草が茂る。 土地を放置しておけば、 草が生え、そのうちどこからか 木の種が飛んできてすくすくと 成長する。 生態系を育むということは、 基的に「管理する」とか 「コントロールする」という ことになじまない。 せいぜい、「手入れをする」 ことができるだけである。 「教育」というのも 同じことであって、基的に 環境を整えて放っておくしかない。 最近の大学

    d1021
    d1021 2007/10/10
    付け加えると、神智学のいう「生命の木」を育てるためにはまず種を割る努力が要る。それには感激が必要で理論上の歪みや執着をとる必要もある。そのため型を学ぶ必要があり、守破離とか古教照心心照古教といわれる。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: それでもぼくは

    そうすることは 楽だから、人間はついつい他者を 決めつけてしまうものである。 しかし、 何かがその人から 出てきたからといって、 決してイコールではない。 歩いていてたまたま ひろった果物が、それを生み出した 背後の生態系と等置されるものではない ように、 ひとりの人間という大密林を、 そこから飛び出した産物で 判断することなどできない。 夜、森の前に立つと、暗闇から 様々なものの気配が聞こえてくる。 人に向き合うということは つまりはそのような深い傾聴を 伴うことであろう。 やってもやっても目の前の 仕事が終わらず、何だか切なく なってしまう。 だがしかし、生きものという ものはそもそもずっと忙しく 立ち働いているものではないか。 水面のアメンボたちは、 自分たちのテリトリーを守り、 エサが落ちたらそこに駆けつけ、 異性を探し、 危険から逃れ、 いつもスイスイぴょんぴょん やっている。

    d1021
    d1021 2007/10/09
    →9/26日本精神通義P186以下,P202以下 9/8国民の歴史 9/3特別対談 10/7佐々木 了雲 ↑生の全体性
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 胡桃の殻が擦れ合うように

    養老孟司さんは、 「仕事というものは、世間に空いている 穴を埋めるものだ」 という。 とりわけ、 自我が肥大しがちな青年時代において、 養老先生の言葉は大切な メッセージを含んでいる。 一方、何でも世間に合わせて がんばっていると消耗する。 自分が好きなこと、惹かれること、 大切なことをできるならば、 より良質のものを生み出し、 世間に差し出せる可能性がある。 半ば自分のために、半ば 他者のために。 つまりは、自分と社会が、 ラブ・アフェアーの状態に あることが望ましい。 別の言い方をすれば スケールの問題なのであって、 自分にとって当にエッセンシャルな ことは、世間に大手を振って 流通していることではなく、 心の中に、まるで胡桃の殻が 擦れ合うようにかすかな音を 響かせているものにこそ 耳を傾けるべきなのだ。 そして、自分自身という 楽器が、世に向けての胡桃の 拡声装置となれば良い。

    d1021
    d1021 2007/10/07
    胡桃の殻を割らないといけない。それには刺激が要る。感激したときに魂はスパークする。学歴エリート・主知主義者には感激がない。 我々は魂が、普通の人は心が、彼らは頭が、自分だと思っている。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 劣等感こそが人を育てる

    ヨミウリ・ウィークリー 2007年10月21日号 (2007年10月6日発売) 茂木健一郎  脳から始まる 劣等感こそが人を育てる。 抜粋 優位に立つものは、自らの存在根拠を問い直す必要がない。それに対して、劣等感を抱く者は、自分が何ものなのか、魂の探究をしなければならない。支配者の考えることは、案外散文的でつまらない。人生の挫折を知らない学歴エリートは往々にして退屈である。劣等感こそが、この世で生きるということの実感を与えてくれる。劣等感が、人間の魂を育てるのである。 全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。 http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/ » 確かに劣等感に巣われて トラックバック 鈴木正和 ブログ日記  文学の痛みと感動 劣等感が自分の中で巣を作り、 時々、ひょっこりと顔を出すように なってしまってから、 長い年月が経ったような気がする。 そんなもの

    d1021
    d1021 2007/10/07
    "優位に立つものは、自らの存在根拠を問い直す必要がない。"それでも上根の者は気づく。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 利己性と利他性

    近年の認知科学が示したように、 人間の行為の基盤に利他性があることは 事実である。 社会的動物である人間は、 「他人のため」に何かをすること自体を 喜びとするように脳の報酬系が できあがっている。 自分のことばかり考えている 人は端から見ていてみにくいものだ。 そのような心の状態を 思い浮かべると、耐えられないものを 感じる。 そのような機微に通じていた 一人が、夏目漱石であろう。 しかし、全面的に「利他的」 ということにはもちろんならないの であって、利己と利他のバランス が大切である。 とりわけ、何かを生み出す という精神運動においては、 自分の内側の倫理規則、快楽原則に 寄り添うことをしなければ 良いものはできない。 他人に対する奉仕で しているのではない。 自らの内なる宇宙における 喜びの回路に沈潜し、 そこでは思い切り利己的に 振る舞うことによって、 初めて結果として他人に喜びを

    d1021
    d1021 2007/10/05
    本物は、義と利が一致しており、その意味において自他の区別がなく、「分別なく、前後無き境地」(→9/11安岡正篤の世界P123)に住み、そのような文章を書く。→9/30植物生態学者
  • 茂木健一郎 クオリア日記: とぐろを巻いていた頃

    ぼくは、最初に理学部物理学科を 卒業して、その後、法学部に学士入学した。 そして、物理学科の大学院に進学しなおして、 博士号を取得した。 だから、ぼくは、東京大学という 場所に、4+2+5=11年間 いたことになる。 そのうち9年間を郷キャンパス で過ごした。 普段、東大のことをいろいろ 批判してはいるが、 母校のこと。 愛着がないはずがない。 第28代の東京大学総長の 小宮山宏先生にお目にかかった。 工学部2号館の吹き抜け。 Subwayの店舗の前のテーブル席。 小宮山先生が、しきりに 持続可能性(sustainability) ということを強強されてたの が印象的だった。 池之端門に降りて、不忍池の 横を歩く。 一体、どれくらいの時間を このあたりを逍遥して過ごした ことだろう。 ちょっと風邪を引いていて 熱っぽかった時、 塩谷賢と、私の友人と 3人で不忍池のほとりを歩いていた。 そ

    d1021
    d1021 2007/10/04
    "究極の哲学"「清く明く直く」もしくは「清明正直」。→9/21今日もがんばレイネ♪ 9/18桜乃彩音
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 風の旅人 第28号

    d1021
    d1021 2007/09/29
    "「今、ここ」にのみ生きる刹那主義"過ぎ越し苦労も取り越し苦労もない執着を脱した状態であって過去も未来も同時にあるから刹那主義ではない。掛け軸を見ながら白洲信哉が言ってたことを思い出す。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 規格外

    朝青龍の問題は、結局、 「規格外」の人をどう扱うかという哲学 だと思う。 日の「国技」としての相撲が、 守るべき美学があるのはわかる。 品格をうんぬんする人の気持ちもわかる。 伝統を守ることは尊い。 その一方で、すでにある枠組みから はみ出している人の個性を認めてこそ、 生命力は維持されるのではないか。 ボクの理解する「横綱の品格」とは、 まさに、枠をはみ出そうとする とてつもないエネルギーを御した ところにこそ生まれるのだと思う。 最初から「いい子」だったら、品格うんぬんを そもそも問題にする必要がない。 容易に御すことのできない荒々しさを みがいてこそ、ほれぼれするような 風合いが生まれるのではないか。 残暑で気温が高いのだろうが、 どうも風邪気味で、 時折寒く感じていた。 だからこそ、身体を動かしたかった。 NHKの収録の昼休み、 正面玄関から出て代々木公園を 歩いた。 わずかな時

    d1021
    d1021 2007/09/21
    "容易に御すことのできない荒々しさをみがいてこそ、ほれぼれするような風合いが生まれるのではないか。"「今世短所の数ふべきあらば便ち是れ第一等の人」。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 偶有性が本来抱く

    d1021
    d1021 2007/09/19
  • 生きているという実感 - 茂木健一郎 プロフェッショナル日記

    2007年9月13日(木)の 収録は、C02やメタンなどの温室効果ガスの 排出権ビジネスに取り組む 吉高まりさん。 吉高さんは、途上国において、 温室効果ガスの排出削減につながる 技術の導入、事業を開拓し、 その結果生じる「排出権」 が現地に経済的な見返りをもたらす ために仲立ちをする。 吉高さんは、金融関係で働く中、 世の中のお金が必ずしも良い目的の ために使われないことを実感する。 そんな中、環境経済学に出会い、 温室効果などの外部性を内部化する 仕組みに着目する。 人々の善意に頼りがちだった環境保護。 経済のはたらきそのものを用いて 環境を良くするという新しい可能性が、 「排出権」などの環境金融ビジネスに よって生まれている。 吉高さんは、環境経済学における 「排出権」という概念が、 現実の世界の中で機能し、 実際にお金を生み出すということを 「実感」したかったのだという。 「実感」

    生きているという実感 - 茂木健一郎 プロフェッショナル日記
  • 茂木健一郎 クオリア日記: オメデトウ! (タケちゃんマンいいよね)

    安部晋三首相が突然辞意を表明した というニュースが流れた時、 私は大手町の讀賣新聞 社にいた。 メディア戦略局の 上伊澤沖宏さんが「困った」 という顔で、 「茂木さんの写真を撮る予定だった カメラマンがいなくなってしまいました」 と言う。 多くの記者、カメラマンが 永田町に出払っているに違いない。 私の写真など撮っている 場合ではないのだろう。 やっと、カメラの人がきて、 パシャパシャと撮影し、 「それでは、さよなら〜」 と走り去っていった。 重大ニュースが流れた時の 新聞社は忙しい。 人生にサプライズという ものは付きものであるが、 筑摩書房の「たけちゃんマンセブン」 こと、増田健史が、先日、 「実は一身上のことで折り入って話が・・・」 と言ってきた時、 私は、「ははあ」 と思ったが、まさか、その相手が、 幻冬舎の大島加奈子さんだとは思わなかった。 「いやあ、実は、大島さんなんですよ。

    d1021
    d1021 2007/09/13
  • 茂木健一郎 クオリア日記: どうであれ

    汐留の 電通社にて ミーティング。 NHKで、『プロフェッショナル 仕事の流儀』 の打ち合わせ。 二酸化炭素などの温室効果ガスの 排出権ビジネスにかかわる吉高まりさんが ゲストでいらっしゃる回。 テレビというメディアの課題の一つは、 「情報圧縮」をいかにやるか ということである。 人間の脳には、たくわえられた 経験をろ過し、関係づけ、整理し、 やがて一つの言葉、概念に凝縮する 働きが備えられている。 ある時、芸術家の岡太郎は、 パーティーで乾杯の発声を依頼されて、 「この酒を飲んだら死んでしまうと 思って飲め、乾杯!」 と叫んだという。 この言葉には、岡太郎という 人の人生が凝縮している。 映像を素材とするテレビにおいて、 同じような凝縮ができるか どうか。 それが課題である。 夕刻、雑誌の取材で武満眞樹さんと お目にかかる。 武満眞樹さんは不思議な人で、 カタツムリを掴み、 それを

    d1021
    d1021 2007/09/12
    "ああ、そうか、と思った。周囲がどうであれ、自分の内側から「光」を発すれば良い。"陽明学そのもの。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: プロフェッショナル 仕事の流儀 森公博

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ギリシャ的明朗さ

    朝日カルチャーセンターの後の 飲み会。 春まで東大の駒場の修士課程に いて、それから新潟大学の 医学部に行った岩村憲クンが、 ニューヨーク土産だと言って、 アルベルト・アインシュタインと チャールズ・ダーウィンの指人形を 買ってきてくれた。 恩師である池上高志には、 アインシュタイン人形を買って きたのだという。 「普通に売ってたんですよ。」 と岩村クン。 「6ドルだったんですよ。」 あまりにもはまり過ぎている。 岩村くん、君ははいいやつだなあ。 アインシュタインとダーウィンの指人形を くれた岩村憲くん。 ボクの子どもの頃からの ヒーローはアインシュタインだったが、 最近ダーウィンが「殿堂」 に加わっている。 さっそく、二人のヒーローを 指にはめて「会話」した。 「おーい、アインシュタインくん」 「なんだい、ダーウィンくんじゃないか」 「最近はどうしているんだい?」 「いや、まあまあさ。君

    d1021
    d1021 2007/09/08
    "日本は、新しい文化を本気で創るということがすっかり苦手な国になってしまった。"それというのも烈々たる日本精神が減退しているからだ。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ワクワクは「進化からの贈り物」

    「今度の台風は、強いままで 来るようですね。」 「これは、間違いなく上陸するな」 「これは、電車がとまるかもしれないゾ」 「風が強くなるかもしれないなあ」 「帰れなくなるかもしれない」 「うわあ、すごい雨になった。」 台風を待ちかまえる人たちの 会話は、なぜか少し楽しそうだ。 災害に見舞われるかもしれないのに まるでワクワクしているようにも 見えるのはなぜか? 危険が迫った時に、ワクワクする ことは、適応的だからである。 いたずらに不安に駆られたり、 恐怖にとらわれたりして いたのでは、いざという時に 的確な判断をしたり、 敏捷に動いたりできない。 ワクワクは「進化からの贈り物」 なのである。 NHK出版へ。 『プロフェッショナル 仕事の流儀』 のでいつもお世話になっている 高井健太郎さん、小林玉樹さん と打ち合わせ。 「茂木さん、コラムを毎回書くの 大変じゃないですか」 「いや、大丈夫

    d1021
    d1021 2007/09/07
    "台風を待ちかまえる人たちの会話は、なぜか少し楽しそうだ。""仕事がこんなにある、あんなにあると思うと、果たして乗り越えられるかどうか、胸がワクワクしてくる!"
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「キャンドル・ライト」

    d1021
    d1021 2007/09/06
    "多様性は、21世紀における持続可能な社会を考える上での大切なキーワード。""そして、研究所の取り組むテーマは、今、持続可能性や多様性へと大きく舵を切ろうとしている。"→9/4鳩山
  • 茂木健一郎 クオリア日記: モンキアゲハに

    d1021
    d1021 2007/09/04
    "柳川透""世界が英語圏中心に回っていることは事実だけれども、オレたち、他の言語を母国語とするやつらは、心優しいから、合わせてやっているだけの話だよ。"
  • 茂木健一郎 クオリア日記: プロフェッショナル 仕事の流儀 山口千尋

    プロフェッショナル 仕事の流儀 第61回 挑み続ける者だけが、頂(いただき)に立つ 〜職人・山口千尋〜 ぴったりのはつらいもので、 少し隙間のあるの方がラクで 良いと思っていた私にとって、 山口さんのお話は当に 目から鱗が落ちる思いだった。 「天使が手でやさしくつつんでくれる ような」履き心地。 裸足の時よりも、を履いている 時の方が気持ちが良い。 山口さんの入魂の作りの姿に、 今もざわざわと心が動く思いがする。 NHK総合 2007年9月4日(火)22:00〜22:44 http://www.nhk.or.jp/professional/ http://www.nhk.or.jp/professional-blog/200/4495.html