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ブックマーク / knakayam.exblog.jp (17)

  • 恩師からの手紙 | 中山研一の刑法学ブログ

    家内が亡くなって、もう1年を越えましたが、机の引き出しなどの整理をしていましたら、家内が保存していた書類のなかから、古い手紙類が多数出てきて、その中にかつての恩師から頂いた貴重なものが含まれていることを発見しました。 その中に、旧制静岡高校時代の国文の先生で、滋賀県の同郷でもありました「久沢泰穏先生」から頂いた年賀状と、奥様から家内宛てに頂いた書状があります。久沢先生ご夫は、当時すでに静岡の地を離れて、神奈川県の大磯で定年後の生活を送っておられました。 私宛ての年賀状は、昭和58年(1983年)元旦のもので、以下の句が記されています。 長らえて 富士ばら開く 年に遇う   九十翁 もう一通は、同じく昭和58年3月の、奥様から家内宛の書状で、その中にも、何首かの歌が書かれています。 我が家に誇るものなし さわあれど 教え子すべて 我が宝なり 京菓子の香わしき味 賞でにつつ 君すこやかなれと

    恩師からの手紙 | 中山研一の刑法学ブログ
    d1021
    d1021 2007/10/18
  • 日野原重明氏の護憲論 | 中山研一の刑法学ブログ

    日野原重明さんといえば、96歳の高齢でありながら、まだ現役同様に活動されている超一流の医師であることは、すでに周知のところです。 私は、最近の「全国革新懇ニュース」に出ていたインタビュー記事を見て、この日野原さんが「憲法を守り、軍隊のない独立国家」になることを、情熱をこめて語っておられるのを見て、その確信的な情熱に強い同感と感動を覚えました。その指摘のいくつかを紹介しておきます。 第1に、先の参議院選挙で自民党が大敗したことはよかったとした上で、憲法を変えるかどうかを最終的に決めるのは国民であり、安倍内閣の改憲の狙いはアメリカと一緒に地球のどこかで起こる戦争に従事することであり、今こそ改憲阻止の運動を進めることが大事ですといわれています。 第2に、日が日中戦争という誤った戦争によって、近隣諸国に大きな惨禍をもたらしたことを僕らは知っているから、「あれはもう過去のことで、なかったことだ」な

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  • 刑法と国家主義 | 中山研一の刑法学ブログ

    最近の「法学教室」誌に、「松尾浩也先生に聞く」というインタビューが連載中で、毎月興味深く拝見しています。松尾さんとは、私と同じ昭和はじめの生まれの同世代で親しくしています。 その最近号(324号29頁、2007年9月)の中に、少し気になる記載の部分がありましたので、あえてコメントをさせて頂きたいと思います。 そこでは、戦後の刑法改正問題の際の小野清一郎先生と平野龍一先生との関係が触れてあり、平野先生が準備草案や改正刑法草案に対して、「これは犯罪化、重罰化であり、国家主義的である」と厳しく批判されたという指摘がなされています。それは、戦前の刑法改正仮案に由来するもので、戦前の否定というよりは肯定に近いという印象を払拭することができなかったというわけです。私どもも、この平野先生の評価に賛成したのです。 問題は、それに続いて、松尾さんが、最近の状況について、次のように述べておられるところです。「

    刑法と国家主義 | 中山研一の刑法学ブログ
    d1021
    d1021 2007/09/08
    "最近の「法学教室」誌に、「松尾浩也先生に聞く」というインタビューが連載中""戦後の刑法改正問題の際の小野清一郎先生と平野龍一先生との関係"
  • 久しぶりの結婚式 | 中山研一の刑法学ブログ

    過日、刑法関係の仲間の若手研究者の結婚式披露宴に招かれて、大阪のホテルまで出かける機会がありました。残暑きびしい季節にもかかわらず、ほかにも幾組もの祝宴が予定されているのには、まず驚きました。 結婚式は、ホテル内の教会で行われましたが、静かに流れる音楽を背景に、左右の参列者の間を、美しく着飾った新婦が新郎と手を携えてしずかに祭壇に進んだ後、外人の牧師が大きな声とジェスチャーを使って、神から与えられる愛の意味とこれにこたえるべき永遠の愛の誓いを、新郎・新婦に伝授するという儀式が行われました。そして、参列者全員で賛美歌を歌った後、新郎・新婦に小さい花弁と水泡を浴びせて送り出すというのが、結婚式の手順でした。 私は、教会での結婚式に参加するのははじめてでしたが、これまでのいわゆる「神前結婚式」と比べると、華やかさと開放性の点で、はるかに印象的なものがあり、とくに牧師自身が、新郎と新婦に対して、

    久しぶりの結婚式 | 中山研一の刑法学ブログ
  • 福岡の弁護士の連続書評 | 中山研一の刑法学ブログ

    今度も大阪の石川元也弁護士からの情報で、福岡弁護士会所属のある弁護士が、ブログの形式で、ほとんど連日のように、新刊の要領のよい紹介とコメントを公表されていることを知り、以後興味深く拝見しています。ここでは、7月25日付の、石川義夫著『思い出すまま』(れんが書房新社、2006年)の中から、興味深い指摘を2箇所、紹介しておきます。 「矢口洪一人事局長は、裁判所の諸悪の根源は、歴代事務総長が最高裁判事に栄進することにあると繰り返し断言した。事務総長が練達の裁判官をさしおいて最高裁判事になることは、裁判に専心している裁判官の間に不満を醸成し、事務総局と現場の裁判官の間に抜きがたい不信感を生んでいる。だから、事務総長には総局以外の者を充てるか、いったん事務総長になた者は最高裁入りをあきらめるかにすべきである。矢口氏の言葉はきわめて説得力のある考え方であると受けとった。ところが矢口氏は、その舌の根も

    福岡の弁護士の連続書評 | 中山研一の刑法学ブログ
    d1021
    d1021 2007/08/03
    "矢口洪一人事局長は、裁判所の諸悪の根源は、歴代事務総長が最高裁判事に栄進することにあると繰り返し断言した。"
  • 歌舞伎の鑑賞 | 中山研一の刑法学ブログ

    7月12日の午前11時から、大阪の松竹座で、7月大歌舞伎の演技を鑑賞するという機会に恵まれました。これは、私にとっては思いもよらなかったことですが、大阪の弁護士の石川さんご夫が意識的に私を誘って下さったおかげです。 私にとっては、道頓堀かいわいの雰囲気をはじめ、松竹座の建物の風情、それに満員の観客の笑いとざわめきなど、めずらしいものづくめでしたが、出し物の「鳴神」「橋弁慶」「義経千桜(渡海屋・大物浦)」の立派な舞台装置と役者の練達した立ち回りと力強い演技力には終始圧倒されました。 年のせいで少し耳が遠くなり、せりふが聞き取りにくいところもありましたが、石川さんに勧めてもらったイヤホンが舞台の進行経過を要領よく解説してくれるもので、大いに助かりました。 これまでは、外国に出張したときには、オペラやコンサートを鑑賞する機会はあっても、国内ではほとんどそのような機会がなく、むしろ研究時間を確

    歌舞伎の鑑賞 | 中山研一の刑法学ブログ
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    d1021 2007/07/13
    "もう少し古典的な芸能や文化的なイベントに直接触れる機会を増やす方が望ましいように感じました。"
  • 条例違反の盗撮行為 | 中山研一の刑法学ブログ

    最近、熊の弁護士から、熊県の迷惑行為防止条例違反の事件について、相談を受けました。これは、いわゆるプリクラ機を利用中の女子学生の背後から、カメラつき携帯電話をスカートの下方に差し出して、そのスカート内を撮影しようとした行為が、公共の場所において人を著しくしゅう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような方法で「卑わいな言動」をしたものとして起訴されている事件です。 それは、盗撮行為として、文句なしに有罪になりそうに思えるのですが、厳密には、撮影したのではなく、撮影しようとした(被害者は知らずに現場を去り、カメラには何も写っていなかった)という点に問題があります。検察官も、直接「盗撮行為」の規定ではなく、その他の「卑わいな言動」に当たると解しました。これはいわば盗撮行為の未遂に当たる行為ですが、未遂を処罰する規定がありませんので、一般的な「卑わいな言動」の中に含めて処罰することができるかという

    条例違反の盗撮行為 | 中山研一の刑法学ブログ
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    d1021 2007/07/10
    "いわば盗撮行為の未遂に当たる行為ですが、未遂を処罰する規定がありませんので、一般的な「卑わいな言動」の中に含めて処罰することができるかという点が問われている"
  • 京大時代の事務職員の来訪 | 中山研一の刑法学ブログ

    去る6月24日の日曜日の午後、私がかつて京大に在籍していた当時、事務室や図書室の職員として親交のあった6名の方々が揃って私宅にお見えになりました。しかも、これらの皆さんとは、教員と職員との関係という以上に、京大職員組合の組合員としてもともに活動していたという関係も加わって、親しさが倍増しているのです。 幸いにも、私の手元には、京大退職時(昭和57年)に「京大職組法学部支部」の皆さんから贈られた寄せ書きが残っていましたので、この証拠品をめぐって話題が広がりました。その寄せ書きの中央には、杉村敏生先生が「新しい職場での奮闘を」と墨書されており、全部で16名の職員の皆さんが餞別の言葉を書き込まれています。その中には、もう亡くなられた方々もおられると聞き、年をとってからも元気で再会できたことを喜び合いました。 私は、昭和30年に京大助手に採用されて以来、最初から教職員組合に加入し、学問研究とともに

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    d1021
    d1021 2007/07/03
    "なお、学外で講義したときの「テープ」がもとで、「口述刑法各論」(昭和50年)が出来たというのも皮肉な副産物だったと思います。"
  • 高等商船学校の同窓会 | 中山研一の刑法学ブログ

    清水高等商船学校時代の同期生(われわれ二期生は1800人もいた)のうち、阪神二期生会の例会が6月15日に神戸海洋会館で開かれました。私は、これまで一度も出たことがなかったのですが、今回はじめて出席しました。 まず驚いたのは、79名の案内状発送者のうち、出席者が29名という人数の多さと、集まった同期生(80歳前後)の元気な姿でした。それに、例会が年2回というのも、ちょっとほかに例がないように思われます。 所属が1分隊から40分隊まであり、航海科と機関科に分かれていましたが、私の属していた13分隊にいた同期生は見つかりませんでした。それでも、2年次に同じ分隊に所属していた旧友のひとりとは、すぐに判別できて、固い握手をかわしました。 私が初参加ということで、乾杯の音頭をとることになりましたが、ほとんどの方々が毎回出席を重ねている親しい間柄で、60年以上も昔の戦中の苦労を共にしたという心のつながり

    高等商船学校の同窓会 | 中山研一の刑法学ブログ
    d1021
    d1021 2007/06/16
    "17分隊所属の杉尾秀一郎氏が、・・・息子がTBSのキャスターをしている"
  • 6月2日と6月7日 | 中山研一の刑法学ブログ

    6月2日は亡直子の誕生日、6月7日は2人の結婚記念日なので、思い出を何か書こうと思っていましたら、昨年のブログにもすでに書いていることが分かりました。 今年は、すでに一周忌を過ぎていますので、だいぶ落ち着きを取り戻し、少しづつ記憶が薄くなるものと思っていたのですが、むしろ逆に寂しさがかえって身に染む思いがします。 今年の6月2日は、午後から刑法読書会の研究会に出席するため立命館の法科大学院まで出かけましたが、帰りの四条大宮でケーキを2個買って、帰宅して夕後、仏壇の直子の写真の前で、静かな誕生祝いのひとときを過ごしました。直子の明るい声をもっと録音しておけばよかったのにと悔やまれます。6月3日(日)には、大阪から息子家族が帰って来て、みんな一緒に昼べましたので、少しにぎやかになりました。 6月7日は、別段の用事はなく、図書室を整理しましたところ、新婚旅行の古い写真集を発見し、あらた

    6月2日と6月7日 | 中山研一の刑法学ブログ
    d1021
    d1021 2007/06/08
    "帰宅して夕食後、仏壇の直子の写真の前で、静かな誕生祝いのひとときを過ごしました。"
  • 「定刻主義者の歩み」出版計画 | 中山研一の刑法学ブログ

    私は、今から20年前の60歳の還暦のときに、『一定刻主義者の歩み』という自伝的な小著を成文堂から出したことがあります(ただし非売品で品切れ)。これは、同輩や後輩の皆さんが、当時私のために開いてくださった還暦記念祝賀会の際に、関係者の皆さんにお礼として献呈したものです。 あれからもう20年を経過しましたので、このの新版を作るべく、少しづつ準備をはじめているところです。小学校から始まって、旧制中学、高等商船学校、旧制高等学校、旧制大学、大学院を経て、助手、助教授、教授と昇進し、国立、公立、私立大学を転進して定年となり、定年後も研究生活を続けているという経歴に沿った情報や写真類を集め、その間に書いた著書や論文以外の随想風のものをまとめるというのが今の作業です。 その過程で、このブログの記事を参照しているのですが、昨年2月から書いたものがいつの間にか蓄積して、とても入りきれないほどの量に達してい

    「定刻主義者の歩み」出版計画 | 中山研一の刑法学ブログ
    d1021
    d1021 2007/06/05
    "松尾浩也さんのインタビューが「法学教室」に掲載中ですが、昭和始め生まれの世代がもう回顧される時期になっているかと思うと、時の流れの速さを痛感します。"
  • 第85回刑法学会 | 中山研一の刑法学ブログ

    5月26日(土)と27日(日)の両日、名古屋の名城大学で、日刑法学会が開催されました。昨年は、家内の死というショックから出られませんでしたが、今回は思い切って出席しました。名古屋はあまり行ったことがなく、名城大学は始めてで、少し戸惑いましたが、天気も良く、ビズネスホテルには温泉もあったりして、良い経験をしました。 日刑法学会は、85回を数えるくらいあって、昭和24年(1949年)に創立されたという古い歴史があります。私自身は、昭和28年に大学を卒業していますので、おそらく昭和30年頃から刑法学会に出ていたと思います。全国学会ですから、地元の関西の先生方のほか、小野清一郎、木村亀二、団藤重光、植松正などの長老格の先生方をお見かけし、ときにはお話を伺う貴重な機会でもありました。ただし、私は、牧野英一先生をお見かけしたことはありません。 その私が、今80歳にもなって、出席者の名簿を見ても、私

    第85回刑法学会 | 中山研一の刑法学ブログ
    d1021
    d1021 2007/05/28
    "その私が、今80歳にもなって、出席者の名簿を見ても、私よりも年上の先生方が来ておられないのは、何としても淋しい感じがしました。"
  • 竹田直平先生のこと | 中山研一の刑法学ブログ

    竹田直平先生は、1998年(平成10年)3月16日に96歳で亡くなられた著名な刑法学者です。明治生まれの刑法学者には高齢の方が多く、牧野博士の92歳、小野博士の95歳を超えられましたが、佐伯博士の98歳には及びませんでした。ただ、竹田博士には、他の先生方には見られない特異な経歴があり、富山の片田舎で小学校を卒業しただけで、単身京都に上洛し、河上肇博士の門をたたき、その後、独学で各種の資格試験に合格し、立命館大学講師を経て、立命館大学、近畿大学、甲南大学教授を歴任されたというユニークな経歴が目立ちます。 最近、古い資料の中から、河上肇全集(岩波版)書簡集(1)の中に、竹田先生にかかわる記事を発見しましたので、以下にその内容を引用しておきます。 ① 大正12年1月14日 大原社会問題研究所内 櫛田民蔵様宛(封書) 竹田直平氏持参 河上肇 「拝啓 日突然別紙の如き紹介状と自筆の手紙を有った青年

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  • 40年の平裁判官 | 中山研一の刑法学ブログ

    最近の『青年法律家』という雑誌(青年法律家協会弁護士学者合同部会発行、434号、2007年4月26日)には、24歳から65歳まで約40年間、転勤もせず、裁判長や地裁所長、高裁長官などには一切出世もしない「平の裁判官」としての道を淡々と歩んだ下澤悦夫氏の手記が掲載されています。これはぜひ一読の価値があると思い、紹介することにしました。 注目すべき多くのことが書かれていますが、ここでは、裁判官の再任・転勤問題について書かれているところを、以下に引用しておきます。 「裁判官再任問題―転勤問題は、裁判官のあり方を規定する重要な問題です。再任されるかどうか、おそるおそる10年目を迎えるということは、裁判官にとって非常に負担になっています。でありながら、定年までキャアリア裁判官として転勤しながら、昇級していくというキャリアシステムもとっている。そうしたキャアリアシステムをとりながら、10年で再任するか

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  • 盤珪禅師 | 中山研一の刑法学ブログ

    大正15年3月発行の『高等小学読・巻1(女子用)』(文部省)の中に、次のような興味のある記載があることを発見しましたので、第5課「盤珪禅師」のところを引用しておきます。 「盤珪禅師は播磨国龍門寺の住持にして識徳一世に高く、教を請ふ者常に門に満てり。或年仏道修行の催ありし時、来り集る者頗る多かりしが、其の会衆中、金品を失ふ者数人に及べり。然るに間もなく1僧の所為なること明らかとなりしかば、会衆一同禅師に言ひて、直ちに之を追放せんことを請ひぬ。禅師『よしよし』と其の旨を聞入れしかど、更に追放のことなかりければ、数日の後、会衆は総代を以って再び此の事を言出でたり。禅師、此の度も『よしよし』と承諾したるのみにて、少しも彼の僧を追う様子なし。かかること尚3度4度に及びしかば、会衆大いに立腹し、『若し彼の僧を追放し給はずば、我等は1人も残らず退散致すべし』と言出でぬ。其の時禅師一同に向ひて、『退散し

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    d1021
    d1021 2007/03/31
    →3/22転妻
  • 共謀罪のこと | 中山研一の刑法学ブログ

    いわゆる「共謀罪」の立法化は、修正案が出て、まだ予断を許さない状況ですが、近着の刑法雑誌(46巻2号)に、政府委員の経験も長い元大阪高検検事長の東条伸一郎氏(明治学院大学教授)の注目すべき発言が紹介されていますので、少し長いのですが、引用しておきます。 「実務家の感覚としては、今回の経緯から見て、いずれば『共謀罪』という形で入ってくるのは間違いないと思われるが、音では、賛成していない。法執行機関が相手にしているものは、ほとんどの場合、結果(あるいは未遂)が発生している犯罪である。捜査は、これらの結果が出た犯罪については、行為者から始まって、その背景には何があるのかということで進んで行き、共謀共同正犯にまでたどり着く。ところが、今後の共謀罪というのは、後ろの結果の部分がない。いきなり共謀のみが問題となる。結果から遡って捜査を進めてきた現場の捜査官とすれば、共謀というのは非常にやりにくい。

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    d1021
    d1021 2007/03/18
    "現実問題として、共謀罪というのは、少しら乱暴なことをしないと立件できない犯罪ではないか"
  • 叙勲について | 中山研一の刑法学ブログ

    たまたま約10年前に『ジュリスト』(1097号、1996年)に寄稿した古い「随想」が見つかりましたので、少し長いものですが、ここに転載しておきます。 かつて所属していた大学から、70歳になるのを機会に、生存者叙勲を受ける意思を確認した上で叙勲対象者名簿を文部省に提出することになっているので、叙勲を受ける意思があるかどうか回答してほしいという依頼があった。叙勲のことなどひとごとだと考えていたが、いざ自分のこととなると真面目に考えなければならなくなった。 叙勲を受けるかどうかは人の自由意思によるもので、個人的な選択の問題だとされているのは当然だとしても、そこには人の意思の尊重という点よりも、むしろ無駄のない事務的な処理や受領者側とのトラブルの回避といった考慮も働いているのではないかと思われる。 かつては、お上が授ける叙勲を受領しないといったケースはほとんどなかったのではないかと考えられるの

    叙勲について | 中山研一の刑法学ブログ
    d1021
    d1021 2007/01/25
    "所属していた大学から、70歳になるのを機会に、生存者叙勲を受ける意思を確認した上で叙勲対象者名簿を文部省に提出することになっているので、叙勲を受ける意思があるかどうか回答してほしいという依頼があった。"
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