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鉄道と平成に関するdaisukeeHTNのブックマーク (5)

  • 街が大変貌!「30年で利用客が増えたJR駅ランキング(東京圏)」 大躍進駅は山手線にも | 乗りものニュース

    東京圏1都3県のJR東日駅における乗車人数は、この30年間でどのように変化したでしょうか。今回は1989年度と2021年度を比較。特に大幅増加した駅は、周辺の街づくり効果が絶大な影響を与えていました。 順位を落とした渋谷駅、なぜ? 駅の利用者数は日々変化しています。特に数十年単位で見ると、大きく増加した駅、減少した駅が顕著になります。増減の要因としては、新路線が開通してそのターミナルになったケースのほか、駅付近にニュータウンができたり、大規模再開発が行われたりするケースも挙げられます。 今回は、都内とその周辺(神奈川、埼玉、千葉の各県内)のJR東日の駅について、約30年前の1989年度と2021年度とを比較して、乗車人数(1日平均)の順位の変動を見ていくことにします。 拡大画像 首都圏の電車(画像:写真AC)。 この30年間、1位であり続けているのが新宿駅です。さらにいえば1966(昭

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  • 快速「アクティー」最後の2列車が消滅へ 34年の歴史に幕 JR東海道線 | 乗りものニュース

    湘南新宿ライン系統の「特別快速」に一化されます。 東京駅方面の速達列車が消滅 JR東日2022年12月16日(金)、来年春2023年3月18日に実施予定のダイヤ改正の内容を発表。その中で、東海道線で運行されていた快速「アクティー」という名称の列車が消滅することが明らかになっています。 拡大画像 かつて東海道線で快速「アクティー」にも運用された215系電車(画像:写真AC)。 かつて「東海道線の快速」という存在で多数運行されていた「アクティー」。次第に数を減らし、現時点で東京発19:48、20:48の2のみが残っていました。それが今回のダイヤ改正で、19:48発は上野発の普通列車に変更。20:28発は運転取りやめになります。これにより、「アクティー」は消滅となります。 快速「アクティー」は1989(平成元)年に運行開始。もともと駅間距離の長い東海道線なので、その数少ない途中駅を通過し

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  • ミニ新幹線は招かれざる存在なのか 山形・秋田新幹線だけなワケ 貼られた“レッテル” | 乗りものニュース

    費用や工期、開業後の採算の面から、フル規格の新幹線は難しいとされた地域の救世主となったのがミニ新幹線です。国内では山形・秋田新幹線が該当しますが、25年経った今でも、それら以外には採用されていません。なぜでしょうか。 新幹線の有無で広がった地域格差 2022年は「ミニ新幹線」のアニバーサリイヤーです。秋田新幹線は3月22日に開業25周年を、山形新幹線は7月1日に開業30周年を迎えました。ところがその後の四半世紀、ミニ新幹線が(山形新幹線の新庄延伸を除けば)ひとつも開業していないのはなぜなのでしょうか。 山形新幹線はミニ新幹線。「つばさ」に使用されるE3系電車(画像:JR東日)。 高速鉄道の在来線乗り入れは世界的に見れば決して珍しいものではありません。というのも、日は在来線では実現不可能な高速化、輸送力増強を目的として、規格を抜的に改めた新幹線を建設しましたが、欧州では在来線も高速鉄

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  • 公募される鉄道の名称 20位が採用された「E電」の理由 「東電」は使えないし… | 乗りものニュース

    鉄道関係の名称はしばしば公募されることがあり、そのひとつに「E電」というものがあります。20位と下位のものが選ばれ、まったく定着しませんでしたが、なぜそうなったのでしょうか。 1987年の国鉄分割民営化でそぐわなくなり JR東日が2021年5月末、京葉線に設ける「幕張新駅(仮称)」の駅名を募集すると発表。ネットでは、公募130位の名称が採用された高輪ゲートウェイ駅が引き合いに出されたり、大喜利的なものが始まったり、話題になりました。 鉄道関係の公募は昔からしばしば行われており、そのひとつに、2021年5月に亡くなった小林亜星さんも選考委員の1人だった「E電」があります。 「さようなら日国有鉄道」のマークをつけた205系(1988年、恵 知仁撮影)。 国鉄時代、山手線や大阪環状線といった東京と大阪の大都市圏で運転される近距離電車は「国電」と呼ばれていました。しかし1987年に国鉄が分割民

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  • 平成と歩んだJR、令和時代への宿題 ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

    1987年(昭62)に誕生したJRグループ各社にとって、平成の30年余は自らの歴史と重なる。その間の社会環境の変化は、各社を当初の思惑とは異なる未来へと導き、成功した会社がある一方で歪みも生んだ。完全民営化を達成した各社を縛る国の「指針」を巡っては、きしみも現れ始めている。国鉄時代を知らない世代が主役となっていく新たな時代を前に、各社の持続可能性やグループ連携のあり方が問われている。 州3社、サービス磨く 国鉄分割民営化から32年。各社には「平成とともに歩み、育てられた」(JR東日の深沢祐二社長)との思いがある。当初、最優先したのは鉄道の再生だ。 JR西日の来島達夫社長は「脆弱(ぜいじゃく)な基盤からスタートし、利用客に支えられた」と振り返る。国鉄末期は新幹線や大都市圏で稼いだ利益を、巨額赤字の補填に充てたため「新幹線に十分な投資が回せていなかった」(JR東海の金子慎社長)。 JR

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