『クドカンの流儀 宮藤官九郎論 名セリフにシビれて』(井上美香/言視舎) 脚本、舞台演出、映画監督、俳優、ミュージシャン、作詞、作曲、放送作家、濡れ場評論家――どれもジャンルが異なる仕事だ。しかし、これらを一人でこなしている男がいる。そう、宮藤官九郎こと“クドカン”だ。 彼が作り出す作品のひとつひとつに独特の世界観があり、「何か他の映画やドラマと違うな」という違和感が次第に中毒のような心地よさに変っていくのは、きっと私だけでないはずだ。そんな私と“クドカン”との出会いは、中学校の授業の一環で鑑賞した映画『GO』。当時まだ「在日」という言葉を知らなかった私にまだ見ぬ世界を見せてくれた。その後も映画『ピンポン』を見ては、自分も「I can fly」と声高らかに叫び、『あまちゃん』を見ては、夏ばっぱの深い愛情に涙し、『ゆとりですがなにか』を見ては、「ゆとり世代」だって捨てたもんじゃない! とささ