その慰霊碑は日本海に浮かぶ北海道・利尻島で風雪に耐えている。シベリア抑留者でもある古老の元漁師が寄付などを得て建て、終戦翌年に自らの手で永久凍土に埋葬した仲間たちを弔う。彼らとの果たせぬ約束……「Дoмой(ダモイ)(帰国)」。残された時間の中で、せめて異境の地でさまよう霊の道標にと願う。 碑には「シベリア抑留者 慰霊之碑」と刻まれている。吉田欽哉さん(98)が8月、自宅近くに建てた。集まった約390万円の寄付を利用し、周辺も整備。寄付の窓口として市民団体「シベリア抑留体験を語る会札幌」が協力した。道路を挟んで真下に広がる広大な海、その先にシベリアがある。除幕式で、吉田さんは「日ロ関係が改善したら必ず遺骨を日本に帰してやりたい」と語った。 吉田さんは終戦直前の1945年5月、衛生兵として日本が統治していた南樺太(現サハリン)の北部、上敷香の陸軍病院で軍務に就いた。8月になってソ連軍が突然、
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