私がそこに行って問題を解決してあげようと思う。
子どもたちの日記をAI=人工知能で解析し、子どもが抱える悩みや不安の早期発見につなげようという取り組みを、奈良県葛城市が新年度から始めることになりました。 新型コロナウイルスの感染拡大で対面での活動が制限されるなか、子どもたちの抱える悩みや不安は周囲から見えにくくなっていると指摘されています。 こうした中、葛城市は子どもたちの日記をAIで解析して虐待やいじめなどさまざまな悩みや不安の早期発見につなげようという取り組みを、新年度から始めることになりました。 AIには過去に悩みを抱えていた子どもが書いた文章などをあらかじめ読み込ませていて、市では、中学生には週に1回、タブレット上に匿名で日記を書いてもらい、文中に使われている単語や文脈に同じような傾向がないか解析するということです。 そして何らかの支援が必要とAIが判断した場合には、周囲に相談するよう呼びかけるメッセージを自動で送るということで
あの手の話全般、なんか別種の様々なインセンティブや「正しさ」が整理されずにごちゃ混ぜにぶちこまれてる気がすんのよね。 だから整理してみた。 違うとこあったら言って。 1.クオリティ確保の問題牧原さんは、「映画の中でろう者がどう描かれるか」という表象の面において、聴者がろう者を演じる際の違和感をこう指摘する。 「大きいのは手話です。手話が第一言語ではない聴者の俳優がやると、『身振り』のようになってしまう。手話は、表情や頷き、動きのスピードも含めた言語なので、手の形だけでは微細な感情を伝えることは難しい。監修がつき練習しても、数カ月で習得できるものではありません。 また、耳が聞こえる人と聞こえない人では、身体感覚が異なります。聴者がろう者と同じ感覚になるためには、本来であれば音が聞こえない状況で演じなければならない。 たとえば目の動き。聴者は音を通して人やものの気配に気づきますが、ろう者はそれ
ラッキースケベによる結果の考察が抜けている①ラッキーである(偶然性が高い)こと、②性的(スケベ)であること、そして③シーンが読者に提示されることが不可欠な要素 これが説明足りてないな ラッキースケベ自体はそうかもしれないが、結果がいろいろあるはず。 例えばこのようなものだ ラッキースケベをしたキャラが謝るパターン、得したと思っちゃうパターンラッキースケベされた対象が嫌がるパターンと、照れ描写だけで嫌がらないパターン そしてそれぞれ別の問題点がある嫌がっているのにやられた=性暴力 謝るだけで終わった=性暴力が軽いものと扱われる 許容される行為、むしろ喜ばれる行為だと思われる 量の問題も存在する「主人公の事を好きなヒロインがスカートを自分の意志でたくし上げ、下着を見せる」等の描写であろう。 どうも規制反対派は1つの事例で持ってOKなのかNGなのかの判断を求めがちだが 世の中そう単純ではなくて量
「あ、、イクッ」僻地工場勤務の私の唯一の楽しみは、職場トイレで捨て垢経由で入手した高校同期の微エロインスタ投稿で抜くことだ。理系の大学院を卒業しメーカーで働き始めて2年、仕事も人間関係もうまくいかないが相変わらずこの未使用のそして今後も使う予定の無いムスコだけが立派である。 東京(町田)に生まれ育った。なんとなく都立の進学校に進学し平均年収が高いからという理由で都内の国立理系に進学した。入学してすぐに総合商社を始めとする文系エリートサラリーマンの年収を年収チャンネルで知り理系に進んだことを後悔をした。 自分を肯定するために私立文系を煽りwakattetvを熱心に見た。通っている大学学部がwakatteルールで偏差値65の慶應文と同等であるという事実だけが大学生活の支えだった。陰キャの癖にアニメやゲームに興味がなく友達は思うようにできなかったがそれらの趣味を見下していたので特に気にはならなか
ゆっくりとした動作でのんびりと草を食む牛の姿は、平穏そのものだ。そんな牛をハグする「カウ・カドリング(cow cuddling)」は、その名の通り牛を抱きしめて癒されるというセラピーアクティビティで、数年前からヨーロッパ諸国でブームとなっている。 そのカウ・カドリングの人気が、2019年現在、今度はアメリカでジワジワ広がっているという。 ニューヨーク州にある農場では、牛を優しくハグすることはリラックスできてストレス解消に繋がり、健康に効果的であるとして、現在限られた時間で数人の訪問者に牛と触れ合うセラピーセッションを提供している。 農場経営者が牛をハグして癒されるアクティビティを提供 ニューヨーク州北部で、33エーカーの広さがある農場「Mountain Horse Farm(マウンテン・ホース・ファーム)」を夫と一緒に経営しているオランダ出身のスザンヌ・ヴューラーさんは、過去9年間にわたり
最近目にする「ナラティブ」という言葉 最近ネットで「ナラティブ」という言葉を目にしませんか? 基本的には「物語」という意味のようだが。正直いまいちピンとこないことが多い。 いろんな意味で使われてない? なんか、いろんな人がいろんな意味で「ナラティブ」という言葉を使っているような気がする。どうなんだろう、気になる。 分類してみたい ということで、「ナラティブ」という言葉の使われ方を自分なりにこうなんじゃないかな〜と分類してみようと思う。 (元々の英語の意味がどう?というよりも、カタカナで「ナラティブ」と書く時に何を含意していることが多いか。という主観的なまとめです) 1. 体験者の中に作られる物語、主観的な語り ゲーム制作の文脈でよく使われる。何かを体験した結果、体験者の中に作られた物語。という意味 例えば、 RPG ゲームなどで、物語を構成する様々な要素をプレイヤー自身が時系列に体験してい
ちげーだろ でいだらぼっちとかあうくそえだとかパワーポイントはげとかデスシックスコインだとかがブクマしねーからこうなった
会社がスポンサーをやってる関係で某軽量級の日本チャンピオンと会う機会があるんだけど めっちゃペラペラでチビ、ヤバい 強さをまったく感じない そりゃボクシングしたら俺よりは何十倍も強いんだろうけど でも、なんていうか見た感じだけなら「勝てそう」って思っちゃうもん 身長で20センチ近く、体重で30キロくらい違ったらさ 大学時代のチームメイトが今は社会人ラグビーをやっていてたまにその関係者と飲むけど あの辺の選手って一目見て「うおっ、ヤベーわ」ってなるもん 近所に取り組みのシーズンだけ使われる相撲部屋があって場所があるときは相撲取りを見かけるけど 「うぉーデケー、戦ったら死ぬ(確信)」ってなるし なんか、やっぱどんだけ強くてもチビはダメだなってなる 生命、物体としてのエネルギーが小さく感じるのは本能的に尊敬できない
いわゆる「ラッキースケベ」がなぜ性暴力の許容となるのか http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/59152841.html この記事、「またこの人かー」と思いながら読んだんだけど、読むと(思っていたよりは)論旨が明確だし、的外れな論敵(青識)への反論も(相対的に)正当だと思ったので、これは改めて考えてみる必要が有るのではないか、と思い、書く。 ただ、あくまで(思っていたよりは)なので、「ここは論旨や主張が曖昧だなー」「誤魔化されているなー」と感じる部分は有った。例えば以下の点。 ①ラッキースケベは「性的無神経さ」を許容している、と書いているが、それが現実に実害(性犯罪を誘発等)を及ぼすと考えているのか?(ボカされている) ②ラッキースケベがレイプ神話を強化再生産し得る、と書いている、「し得る」はこれまでの調査でその様なメディア強化論を肯定する結果が出
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く