ふとした会話から、自分がTKGマイノリティーだと知ったわ
菅義偉官房長官は4日の記者会見で、安倍晋三首相夫人の昭恵氏付の政府職員について、7月に5人から3人に体制を縮小したことを明らかにした。 常勤だった2人を経済産業省に復帰させ、外国訪問などをサポートする非常勤の外務省職員3人を残す。学校法人「森友学園」への国有地売却問題で、昭恵氏付職員が学園側からの照会に応じるなどし、野党から批判が出ていたことを踏まえた措置。 昭恵氏付の職員は過去に、森友学園が運営する幼稚園での講演や選挙応援などに同行。公務員の中立性の観点から野党側は問題視し、政府は職員配置の在り方を見直していた。今後は、昭恵氏の私的活動については、首相の個人事務所のスタッフが対応する。菅長官は「国会で指摘をいただき、業務の適正な管理の観点から、職員の旅行命令などについても個別に確認する手続きを踏むよう改善した」と述べた。
私立灘中学校(神戸市東灘区)が採択した歴史教科書を巡り、自民党の盛山正仁衆院議員(63)=比例近畿=や和田有一朗・兵庫県議(52)=神戸市垂水区=が同校に「なぜ採択したのか」などと問い合わせていたことが3日、分かった。インターネット上でも「政治圧力ではないか」と問題視する声が上がっている。 同校が採択したのは、「学び舎(しゃ)」の歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」。教科書は現役教員やOBらが執筆し、他社で記述がない慰安婦問題に言及。1993年に河野洋平官房長官(当時)が元慰安婦へのおわびと反省を表明した「河野談話」を載せ、併せて「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」と現在の政府見解も取り上げている。 県教育委員会などによると、同校は2016年度から同社の歴史教科書を使用。同教科書を使っているのは県内では同校だけという。同委員会義務教育課は「(教科書の使用は
小池百合子・東京都知事が率いる地域政党「都民ファーストの会」は3日、子どもの受動喫煙を防ぐための条例案を9月開会の都議会に提出する方針を明らかにした。子どもがいる自宅や自家用車の中、通学路などでの禁煙について、罰則規定を設けず、努力義務を課す案を検討中だという。 同会は7月の都議選の公約で受動喫煙対策を掲げ、飲食店などの屋内を原則禁煙とすることや、子どもがいる自宅や自家用車内での喫煙制限を条例で定めるとした。このうち、まず子どもに関する部分を条例案として出す方向で、内容を詰めているという。 一方、屋内禁煙は条例で罰則を定めて規制したい考えだが、同会の増子博樹幹事長は3日、報道陣に「関係当局との協議が必要で時間がかかる」とし、条例案の準備が9月開会の都議会には間に合わないとの見通しを示した。 都議会では、同会や公明党など小池氏の支持勢力が過半数を占めており、条例案が提出されれば、可決される可
ロクタントラ・アンドラン(ネパール語: लोकतान्त्रिक आन्दोलन, ラテン文字転写: Loktantrik Āndolan / Loktantra Ka Lagi Gariyako Āndolan)は、ネパールに起こった2006年の民主化運動。ネパール語でロクタントラは「民主主義」、アンドランは「運動」を意味し、すなわちギャネンドラ国王独裁に反対するものであった。 この運動は、時に「ジャナ・アンドランII(第2回国民運動)」と呼ばれる。これは、1990年の民主化運動(ジャナ・アンドラン)の継続であることを意味するものである。 国王に即位以降、「文民政治家はマオイストの反乱(ネパール内戦)を制御できない」と主張していたギャネンドラは2005年2月1日に政変を強行、電話線を切断、全閣僚を解任し議会の政治家たちを拘束し、国王による親政を宣言した。反体制活動家の中にはインドに亡命し
【AFP=時事】インド東部の紅茶の名産地、西ベンガル(West Bengal)州ダージリン(Darjeeling)で州政府と地元住民ゴルカ人(Gorka)の対立が深刻化し、特産品のダージリン茶葉が世界的な品不足に陥っている。 【写真9枚】最低賃金導入を求める茶農園労働者のデモ ダージリン高原には数十か所のの茶農園が広がり、6~8月が茶葉の収穫の最盛期。例年、約800万キログラムに上る年間生産量のほとんどがこの時期に収穫される。 だが今年は、茶農園の労働者の多くを占めるゴルカ人が、西ベンガル州の新政府への反発から大規模なストライキに突入。6月の茶葉生産量は前年比90%もの激減となった。政府機関インド紅茶局(Tea Board India)によると、昨年は133万キロだった6月のダージリン茶葉生産量は、今年はわずか14万キロだったという。 茶葉の価格が20%以上値上がりするとの予測が広が
第二次ノラの戦いは、第二次ポエニ戦争において紀元前215年にハンニバル・バルカ率いるカルタゴ軍とマルクス・クラウディウス・マルケルス率いるローマ軍との間で戦われた戦闘である。 経過[編集] 前年の失敗にもかかわらず、ハンニバルは再びノラ奪取を試みた。ハンニバルはノラのマルケルスに会戦を挑んだものの、マルケルスはそれに応じなかった。このため戦う気が失せたカルタゴ軍は略奪を始めたが、マルケルスはそれに襲いかかった。その時ローマ軍は海戦で使う長い槍を装備しており、このため短い突き槍を用いていたカルタゴ軍に対して優勢に戦い、カルタゴ軍は撤退した[1]。プルタルコスは「後に残された戦死者の遺体は5000、捕虜は600、死んだ象は4頭、生け捕りにした象は2頭であった」[2]としているが、この記述ではこれがカルタゴ軍だけの損害か、双方合わせての損害かは不明確である(少なくとも象に限ってはカルタゴ軍のもの
デルトサの戦い(デルトサのたたかい)またはイベラの戦い(イベラのたたかい)は第二次ポエニ戦争中の紀元前215年春に、エブロ川の南岸のデルトサ(現在のトゥルトーザ)近くで行われたカルタゴと共和政ローマ間の戦闘である。グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスとプブリウス・コルネリウス・スキピオが指揮するローマ軍が、ハスドルバル・バルカが指揮するほぼ同規模のカルタゴ軍を打ち破った。紀元前218年のキッサの戦いの勝利の後、グナエウスはヒスパニアでの地位を固めつつあった。これを阻止しようとしてハスドルバルは遠征軍を送るが、紀元前217年のエブロ川河口の海戦で敗北してしまう。紀元前215年にハスドルバルは再度遠征軍を送るが、デルトサで再度ローマ軍に敗北した。この敗北の結果、イベリア半島のカルタゴ軍を強化する必要が生じ、その分イタリアにいるハンニバル軍に対する支援が不足することとなった。 戦略的状況
第一次ノラの戦いは、第二次ポエニ戦争において紀元前216年にハンニバル・バルカ率いるカルタゴ軍とマルクス・クラウディウス・マルケルス率いるローマ軍との間で戦われた戦闘である。 経過[編集] 紀元前216年、マルケルスはノラの救援に赴き、バンディウスという当地の名士を味方につけたが、ノラにはいまだハンニバルに味方する者も多くいた。彼らはローマ軍がハンニバルと交戦するために町から出撃すると、後に残された荷物を盗むつもりであった。そこでマルケルスは軍を場内に置き、輜重部隊を城門の傍らに配置し、ノラの住民には城門に近づかないよう布告し、荷物を盗まれないようにした[1]。 ハンニバルがやってくると、マルケルスは自分が陣取っていた城門を開けると騎兵を率いて出撃し、続いて別の城門からも歩兵部隊を出撃させた。それに対し、ハンニバルは部隊の一部を割いてそれに当たらせた。さらに第3の門より3つ目の部隊が出てき
【AFP=時事】旅客機の爆破を企てたとしてオーストラリアで男4人が逮捕された事件で、地元警察は4日、男らに指示していたのがイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の幹部司令官だったとの見方を示した。 【写真】強制捜査が行われた民家で証拠を収集する警察 男らは7月15日、シドニー(Sydney)発のエティハド航空(Etihad Airways)機に簡易爆発物を仕掛けようとしていたが、保安検査場に行く前に計画は阻止された。 オーストラリア連邦警察は「ISの幹部1人から指示が出ていた」と明らかにし、この幹部は国外の「司令官」だと説明した。 警察は今回の計画について、「オーストラリア国内で実行しようとして(襲撃)計画としては最も洗練された部類に入る」と指摘している。 警察はさらに、「化学物質の散布装置」を使った2つ目の計画も初期段階で防いだ。装置から硫化水素を発生させようとしていたとされる
【8月4日 AFP】カナダで難民認定を求めて流入する移民らが急増し、当局が緊急の受け入れ施設の確保に追われている。2日には東部ケベック(Quebec)州モントリオール(Montreal)にある五輪スタジアムも開放した。大半はハイチ人で、ドナルド・トランプ(Donald Trump)政権によるビザ(査証)発給厳格化の余波とみられる。 「これは大きな危機だ。制度上、これほど大量の移民流入への対応は想定されていない」。カナダの税関・移民労働組合(Customs and Immigration Union)のジャンピエール・フォルタン(Jean-Pierre Fortin)委員長は最近の流入数の増加に警鐘を鳴らす。 フォルタン氏によると、ケベック州ラコール(Lacolle)の国境検問所近くでは1日、500人近くの難民認定希望者が国境を越えた。およそ9割がハイチ人とみられるという。 カナダでは
紀元前218年、アルプス山脈を越えてイタリア本土に侵入したカルタゴの将軍ハンニバルは、トレビア川の戦い、トラシメヌス湖畔の戦いで、ローマ軍に甚大な被害を与えた。ローマの元老院は、急遽ファビウス・マクシムスを独裁官に任命し、戦力を再編する時間を稼ぐことにした。ファビウスは、ハンニバルとの決戦を巧妙に避け、持久作戦を展開してカルタゴ軍の消耗を待った。 しかし、ハンニバルによってイタリア全土が略奪にさらされると、ファビウスのそうした姿勢は臆病だと指摘され、決戦を望む声が湧き起こった。これを受けてローマの元老院は、ファビウスの任期が切れると同時に、ルキウス・アエミリウス・パウルスとガイウス・テレンティウス・ウァロの両名を執政官に任命し、積極策に転じた。 両執政官は、総計8万以上の軍団を率いてハンニバルの迎撃に向かった。パウルスはハンニバルとの正面対決を避けるべきだと主張していたが、ウァロは決戦を望
ゲロニウムの戦い(ゲロニウムのたたかい)は第二次ポエニ戦争中の戦いで、紀元前217年夏と、同年秋に戦闘が行われた。アゲル・フレルヌスの戦いの勝利後、ハンニバルは北方さらに東方に移動してサムニウムを通ってゲロニウム(現在のモリーゼ州のカザカレンダ近く)に達した。独裁官(ディクタトル)クィントゥス・ファビウス・マクシムスの率いるローマ軍は、持久戦略を取りながらカルタゴ軍を注意深く追跡していた。この戦略はローマ市民には不評であり、ファビウスは宗教行事を理由にローマに戻ることを強制され、そこで彼の行動に対する弁明を行った。副官のマルクス・ミヌキウス・ルフス(en)が軍の指揮のために残されていたが、ゲロニウムのカルタゴ軍野営地近くで油断していたカルタゴ軍と戦闘を交え、かなりの損害を与えた。 この「勝利」はファビウスに不満を持つローマ市民をして、ミヌキウスを独裁官と同等の地位に昇進させることとなった。
「先の国会では森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設、防衛省の日報問題など様々な問題が指摘され、国民の皆様から大きな不審を招く結果となった。そのことにつき、冒頭まず深く反省し、国民の皆様にお詫び申し上げたいと思う」 ここ最近の内閣支持率の下落など、やはり「政権最大の危機」と感じていたのだろうか。第3次安倍第3次改造内閣の閣僚名簿が発表された8月3日、安倍晋三首相は会見の冒頭で国民に謝罪した。 これまで口にしたくなかった「森友」と「加計」の名前。それをわざわざ言ってみせたのは、みずから「結果本位の仕事人内閣」と名付けた人事で支持率回復を図りたいためだ。 初入閣は6人 再起をかけて任命した19名の閣僚のうち、初入閣は齋藤健農林水産相、中川雅治環境相、小此木八郎国家公安委員長、江崎鉄磨沖縄及び北方領土担当相、松山政司一億総活躍等担当相と梶山弘志地方創生等担当相の6人だ。このうち
稲作が盛んで昔ながらの田園風景が広がる奈良県・大和郡山市。この辺りでは近年、ある外来生物によって、大切な水田が大きな被害を受けているといいます。一体どのような生き物なのでしょうか? 奈良県・大和郡山市では、ある外来生物のせいで田んぼに張られた水が抜けてしまうのだといいます。 「なんぼ水を入れても、2日ほどで水がなくなる。駆除するといっても、苗に影響があってもいけないし…(その生き物が)動くとそこに穴があくんですよ、ずーっと」(農家の男性) 「穴をあけるからな、かなわんねん。入って来るからな、土の中を」 どうやら、その生き物が作る穴が原因のようです。米作りを営む佐野吉伸さん(67)もこの暴れん坊による被害に頭を悩ませています。 「どうして穴をあけよるのか知らんけどね、ちょっとの穴をあけるやろ、水が圧で流れたら、穴がこんなに(大きく)なってくるねん。水がみんななくなったから」(佐野吉伸
世界保健機構(WHO)は「子どもは紫外線による健康被害を受けやすい」として、帽子や日焼け止め、サングラスの使用を呼びかけている。特に学校には「子どもを紫外線から守るうえで学校が担う役割は決定的に重要」と警鐘を鳴らす。では日本の「部活動」の現状はどうだろうか。「子どもはサングラスなんかでカッコつけるな」と思っているとすれば、それは時代錯誤でしかない――。 炎天下で帽子なしの部活動や運動会 いきなり私事になって恐縮だが、今年春に息子が都内の公立中学校に入ると同時に運動部に入部。夏休みも毎日のように部活動に精を出し、真っ黒に日焼けしている。 ここで気になる点がひとつ。学校側が紫外線や熱中症対策にあまり熱心ではないようなのだ。炎天下であれば、大人であれば帽子をかぶり、日焼け止めクリーム(サンスクリーン)を塗り、サングラスを掛けるだろう。ところが、息子は当初帽子もかぶらずに部活動に参加していたのであ
ゲームコレクターの間では長らく「幻のカセット」とされていた、「茶色いゾンビハンター」の正体が、30年越しでついに判明しました。ブログ「ファミコンのネタ!!」で、その真相や判明の経緯について詳しくまとめています。 【画像:茶色いゾンビハンター(※イメージ)】 「ゾンビハンター」はもともと、ゲーム雑誌「ハイスコア」と、エスキモーのアイス「ゾンビハンター」とのコラボレーションから生まれたファミコンソフト。開発は「ハイスコア」編集部が担当しており、アイスを購入した人の中から抽選で8000人に、同名のゲームソフトをプレゼントするという大型企画でした(反響が大きく、後に「通常版」として一般販売することに)。 しかし「ゾンビハンター」を巡っては1つ、大きな謎が残っていました。それが「どうやら茶色いカセットのバージョンがあるらしい」というもの(本来のカセットは黒)。コレクターの間では以前から目撃情報が
アゲル・ファレルヌスの戦い(アゲル・ファレルヌスのたたかい)は第二次ポエニ戦争中の紀元前217年に発生した共和政ローマとカルタゴとの小規模戦闘である。トラシメヌス湖畔の戦いに勝利したハンニバルは南進してカンパニアに達し、ヴォルトゥムス川(現在のヴォルトゥルノ川)沿いの肥沃な平原(アゲル・ファレルヌス)に入った。アゲル・ファレルヌスの北側は山地であった。トラシメヌス湖での敗北後、ローマはクィントゥス・ファビウス・マクシムスを独裁官(ディクタトル)に任命し、ローマ野戦軍の総指揮をとらせた。ファビウスはハンニバル軍を避けて正面衝突は行わず、有利な状況の場合にのみ戦闘を行う戦略をとった(後にこのような持久戦略をファビアン戦略と呼ぶようになる)。ファビウスはアゲル・ファレルヌスに入る川と道路を占領し、カルタゴ軍をアゲル・ファレルヌス内部に閉じ込めた。この状態で持久戦が続いたが、ハンニバルは火牛の計を
京都市埋蔵文化財研究所は3日、同市中京区で、平安京の遺構としては最大規模の邸宅跡が見つかったと発表した。 同研究所によると、当時の有力貴族の邸宅で、平安時代前期の840年ごろまでに建てられたとみられる。 発掘されたのは、柱を直接地面に埋め込む「掘立(ほったて)柱建物」など4棟の遺構で、最大のものは東西約21メートル、南北約9メートル。使用人が寝泊まりや食事の準備をした「御厨(みくりや)」とみられる跡も見つかり、周囲からは、当時高級品だった緑釉(りょくゆう)陶器や灰釉(かいゆう)陶器が出土した。 建物の所有者は不明だが、天皇の平安宮に近く、敷地が1町(約120メートル)四方に及ぶことから、都に数人程度しかいなかった三位以上の官位を持つ貴族と考えられる。 同研究所の吉崎伸調査課長は「庭園跡がなく各建物が独立しているなど、奈良時代の古い建築様式を残している。平安前期の貴族の生活がうかがえ
奈良県が今週から、食害対策としてシカの捕獲・殺処分に乗り出したことに対し、自然保護団体が中止を求める要望書を県に提出しました。 奈良市一円に生息する「奈良のシカ」は、これまで天然記念物として保護されてきましたが、市の郊外では田畑を荒らすシカが深刻な問題となっています。そこで奈良県は、特定の区域に限りシカを捕獲・殺処分することを決め、7月31日から罠を設置していました。これに対し、兵庫県に本部を置く自然保護団体が「捕獲して殺処分するのは残酷だ」として県に中止を求める要望書を提出しました。 「無用な殺生は犯罪だと思います。柵を強化することによって(食害の)被害を減らす、こっちに進むべきだと思います」(日本熊森協会・森山まり子会長) 奈良県は「方針を変える予定はない」とコメントしています。
世界保健機構(WHO)は「子どもは紫外線による健康被害を受けやすい」として、帽子や日焼け止め、サングラスの使用を呼びかけている。特に学校には「子どもを紫外線から守るうえで学校が担う役割は決定的に重要」と警鐘を鳴らす。では日本の「部活動」の現状はどうだろうか。「子どもはサングラスなんかでカッコつけるな」と思っているとすれば、それは時代錯誤でしかない――。 ■炎天下で帽子なしの部活動や運動会 いきなり私事になって恐縮だが、今年春に息子が都内の公立中学校に入ると同時に運動部に入部。夏休みも毎日のように部活動に精を出し、真っ黒に日焼けしている。 ここで気になる点がひとつ。学校側が紫外線や熱中症対策にあまり熱心ではないようなのだ。炎天下であれば、大人であれば帽子をかぶり、日焼け止めクリーム(サンスクリーン)を塗り、サングラスを掛けるだろう。ところが、息子は当初帽子もかぶらずに部活動に参加してい
日本の女性は欧州の女性と比べて、夫や恋人から受けた暴力を警察に通報しない傾向が強いとするアンケートの結果を、龍谷大の津島昌寛社会学部教授や浜井浩一法学部教授らのグループが3日、発表した。背景には、身内や「家」を重んじる日本の文化があるとして、「公的機関や地域住民の女性への気配りが必要だ」と訴えている。 調査は、2012年にEUが実施した「欧州における女性の幸福と安全に関する調査」との比較検討が目的で、暴力被害の有無やその種類、対応などEU調査とほぼ同じ約50項目にわたって質問した。対象は、無作為に選んだ近畿在住の18歳以上75歳未満の女性約2400人で、自宅訪問で依頼に応じた741人分の回答を分析した。 15歳以降に夫や恋人などから身体的な暴力を受けたことがあると答えた割合は、EUの20%に対し、日本は9%だった。その中で暴力を警察に通報した割合は、EUが14%だったのに対し、日本は0
エブロ川河口の海戦(エブロがわかこうのかいせん)は、第二次ポエニ戦争中の紀元前217年春、エブロ川河口で発生した海戦。ヒミルコ率いるカルタゴ海軍の40隻の五段櫂船と、グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス率いるローマ海軍の55隻が激突した。イベリア半島におけるカルタゴ軍の司令官であったハミルカル・バルカは、エブロ川以北のローマ軍を撃破するため陸海合同遠征軍を派遣した。しかし、カルタゴ海軍はローマ軍の奇襲により29隻を失って大敗し、イベリア半島周辺の制海権を失った。この勝利により、イベリア半島におけるローマの評価はさらに上がり、カルタゴ支配下にあった幾つかのイベリア人部族の反乱を招いた。 序幕[編集] 紀元前218年冬のキッサの戦いでハンノに勝利して以来、グナエウス・スキピオはエブロ川以北のイベリア半島でローマの地歩を固め、タラッコ(現在のタラゴナ)においた根拠地からエブロ川以南のカル
カルタゴ軍の布陣とローマ軍の進路、英語版より トラシメヌス湖畔の戦い(トラシメヌスこはんのたたかい)は、紀元前217年6月21日にイタリアのトラシメヌス湖畔(現在のトラジメーノ湖)で起こった、共和政ローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。ハンニバル率いるカルタゴ軍が、ガイウス・フラミニウス率いるローマ軍を破った。 戦闘前[編集] ティキヌスの戦い、トレビアの戦いと連敗を重ねたローマの元老院は、紀元前217年、執政官にガイウス・フラミニウス、グナエウス・セルウィリウス・ゲミヌスの両名を選出し、新たに4個軍団50,000名を動員した。ハンニバルの南下経路が予想できなかったため、両執政官はそれぞれ2個軍団25,000名を率い、セルウィリウスはアレミヌム(現リミニ)へ、フラミニウスはアレティウム(現アレッツォ)へ向かった。 カルタゴ軍はアペニン山脈を越えてフロレンティア(現フィレンツェ)に到着し、ペルシ
キッサの戦い(キッサのたたかい)は第二次ポエニ戦争初期の戦闘である。紀元前218年秋に、イベリア半島北東部に位置するギリシャ殖民都市であるタラッコ(en、現在のタラゴナ)近郊で発生した。グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスが率いるローマ軍が、兵力に劣るハンノ率いるカルタゴ軍に勝利し、ハンニバルが数ヶ月前に占領したばかりのエブロ川以北の土地の支配をローマが取り戻した。イベリア半島でのローマとカルタゴの衝突はこれが最初であった。 戦略的状況[編集] サグントゥム包囲戦に勝利したハンニバルは一旦軍を解散し、翌紀元前218年夏に、102,000(ポリュビオスによる。歩兵90,000、騎兵12,000)とも56,000(歩兵46,000、騎兵10,000)[1]ともされる軍を率いてローマへの侵攻を開始した。その夏の間にエブロ川以北のイベリア人の土地を平定し、ガリアに入った。この土地の防衛のた
私立灘中学校(神戸市東灘区)が採択した歴史教科書を巡り、自民党の盛山正仁衆院議員(63)=比例近畿=や和田有一朗・兵庫県議(52)=神戸市垂水区=が同校に「なぜ採択したのか」などと問い合わせていたことが3日、分かった。インターネット上でも「政治圧力ではないか」と問題視する声が上がっている。 【写真】灘中学校が採択した教科書は… 同校が採択したのは、「学び舎(しゃ)」の歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」。教科書は現役教員やOBらが執筆し、他社で記述がない慰安婦問題に言及。1993年に河野洋平官房長官(当時)が元慰安婦へのおわびと反省を表明した「河野談話」を載せ、併せて「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」と現在の政府見解も取り上げている。 県教育委員会などによると、同校は2016年度から同社の歴史教科書を使用。同教科書を使っているのは県内では同校だけとい
トレビアの戦いは、第二次ポエニ戦争中の紀元前218年12月18日、イタリア半島のプラケンティア(現在のピアチェンツァ)近郊、トレビア川を挟んで行われた戦い。ハンニバル率いるカルタゴ軍と、ティベリウス・センプロニウス・ロングス率いるローマ軍が交戦し、カルタゴ軍が勝利した。 背景[編集] 紀元前218年、アルプス越えによってイタリア半島に侵入したカルタゴ軍は、迎撃に向かった執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオ率いるローマ軍をティキヌスの戦いで破った。スキピオはプラケンティアまで軍を後退させ、もう一人の執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングスの率いる軍団の合流を待った。その間にハンニバルはガリア・キサルピナの現地部族を懐柔し、自軍の増強に努めた。 40,000名近くまで兵力を増やしたハンニバルは南下して、トレビア川を挟んでローマ軍の野営地と対峙した。この頃にはローマ軍もすでに合流を完了し
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