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感覚に関するdelayedresolveのブックマーク (20)

  • けっこうアナログ「数覚とは何か」

    数学的センスのようなものだと予断してたら、大きく外れた。味覚や視覚のような感覚の一つとしての「数覚」という意味なのだ。 そして、驚くべきことにこの数覚、生得的なものとして扱われている。つまり、この数学的感覚は生まれながらにして備わっているというのだ。ええー、数学は得手じゃなかったんだけど……「数学は暗記科目」として逃げてたわたしには、にわかに信じがたい。 さらにこれ、人間だけのものでないそうな。数を数えたり、グルーピングしたり、量の比較をするといった操作は、生物の遺伝レベルで仕込まれているという。「数学」なるものを人類の財産として崇め奉っていたわたしには、ちょっとした衝撃だった。人知を超えた数秘術から、より生臭い存在としてつきあえそう。 この数覚なるもの、非常にアナログ的だという。たとえば、数字の大小比較の実験で、その非デジタルさが明らかになる。「4」と「5」の大小を判断するよりも、「1」

    けっこうアナログ「数覚とは何か」
  • 逆転スペクトル人 - mzsmsの雑記

    ヒラリー・パトナム『心・身体・世界』で、逆転スペクトル人*1が現実的には不可能だということにこだわっているのが理解できなかった(例えば、247項)。 この点について、ふと、少し理解できたように思う。たぶん、これはクオリア説というか、ヒュームやラッセルのセンスデータ説が「科学的な議論」という印象とともに提唱されたことへの反論なんだろう。 例えば、「『赤』という性質は客観的には存在しない。存在するのは700nm周辺の波長の電磁波であり、電磁波は赤くない」*2というのは、なるほどある意味で科学的な背景が必要な言明である。自然科学的な知識がなければ、電磁波がどうとか、その波長がどうとかいうことはできない。 このような印象への反論として、パトナムは逆転スペクトル人の科学的な不可能性(少なくとも困難性)にこだわったのではないかと思う。逆転スペクトル人の議論には、そのような逆転スペクトル人を可能ならしめ

    逆転スペクトル人 - mzsmsの雑記
  • 人間の主観を客観的に理解できるか - 数学屋のメガネ

    主観と客観は対立するものとして現前する。主観は、ある個人の頭の中に存在するもので、その個人を離れて外に飛び出すものではない。それに対して、客観と呼ばれるものは、個人との結びつきを断ち切って、個人とは独立に存在するものとして対象化される。だからこそ、個人の単なる思い込みではなく、誰もがそれを同じように対象として認識できるので、その属性を誰もが認めうるような一般性を獲得することが出来る。 個人の好き・嫌いに関する感情は、客観性をまったく持たない主観だけの範囲で語られてもかまわないものだ。好き・嫌いという感情は、そのこと自体が悪いというような価値判断は出来ない。その感情が生まれてくるのはある意味では仕方のないものとして受け止めなければならない。 例えば、ある芸術作品が自分の好みに合っているという、好きという感情は自分の主観である限りでは、誰も間違えるということはないだろう。この、好みの感情は、個

    人間の主観を客観的に理解できるか - 数学屋のメガネ
  • 美的センスにおける主観的見解とトートロジー - novtan別館

    面白い事になっている。主にうんこ味のカレーカレー味のうんこという点で。 時系列で。 西村清和『プラスチックの木でなにが悪いのか』:だらしない印象論と詰めの甘い議論によるトートロジーしかない - 山形浩生の「経済のトリセツ」 2012-01-20 「カテゴリー」を持ち出しても話は変わらない:西村「プラスチックの木……」書評への批判を受けて。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」 2012-01-21 芸術(や美的感覚)の絶対的な部分を論理的に説明するのは非常に難しい。というのも、こういうものは主観の寄せ集めと刷り込みの産物であるから、黄金分割のようななぜか普遍的な感覚を除けば理由を述べるとトートロジー(つまり、良いものは良い)で終わってしまうことは多い。 だから、美的感覚を中心に据えた意見についてトートロジーだろそれって批判はちょっと野暮で、とはいえ、ソレ以外になんかねーの?みたいに思ってし

    美的センスにおける主観的見解とトートロジー - novtan別館
    delayedresolve
    delayedresolve 2013/01/24
    『芸術や美的感覚を論理的に説明するのは非常に難しい…主観の寄せ集めと刷り込みの産物であるからトートロジー(良いものは良い)で終わってしまう…だからトートロジーだろそれって批判はちょっと野暮で…』
  • 「フロー体験」理論のあまりの凄さに戸惑いを隠せない:YLOGオルタナティブ:オルタナティブ・ブログ

    とあるきっかけで読み始めた、ミハエル・チクセントミハイの「フロー体験」という、あまりに衝撃的であり、日々のものごとに対する観点をガラっと変えてしまったため、その内容の一端を、特にインパクトある部分を中心に簡単に紹介したいと思います。 ■著者「ミハエル・チクセントミハイ」について ミハエル・チクセントミハイは、1934年ハンガリー生まれで、主にアメリカで研究生活を行った、20世紀を代表する心理学者の1人。 1990年に出版された書は、「(欲求の5段階で有名な)アブラハム・マズローの自己実現の概念を超えるもの」(ニューヨーク・タイムズ紙)など様々な新聞・専門家から賞賛され、「日常生活の心理学に関して、今世紀最高の研究者」とも言われています。 その知識は非常に広汎であり、心理学のみならず、文学・社会学・人類学・比較行動学・情報論・進化論・宇宙論・芸術などにまで及んでいます。 ■フロー体験とは

    「フロー体験」理論のあまりの凄さに戸惑いを隠せない:YLOGオルタナティブ:オルタナティブ・ブログ
  • 彼女は勉強「だけ」ができない - 24時間残念営業

    2012-11-10 彼女は勉強「だけ」ができない 最近は店長候補とする人間を育てている。二十代前半の女の子で、その子には夕方の学生の子を育てるべく二人ばかりを預けている。で、あるときその子がグチっぽく言った。 「どうも自分から動いてくれないっていうか、いつまで経っても頼りっきりなんですよね」 そんで今日、その店長候補の子と俺と、あと新人で夕方からのシフトに入る機会があった。その場合でも俺が直接教えることはあまりしない。あくまでその店長候補の子が教育係で、どっちかっていうと俺がレジとかの通常業務をやるような状態になってる。 んで、彼女が新人さんに揚げ物をやらせていた。 「すいません、フライドチキンはいくつ揚げたらいいですか」 「んー、じゃあ5で」 「それとポテトがもうじきなくなりそうですけど、これはどうしますか」 「いまはそのままでいいや」 などというやりとりをしていた。 さりげなく様子

  • ブーバ/キキ効果 - Wikipedia

    ブーバ/キキ効果(ブーバ キキこうか、Bouba/kiki effect)とは心理学で、言語音と図形の視覚的印象との連想について一般的に見られる関係をいう。心理学者ヴォルフガング・ケーラーが1929年に初めて報告し、命名はV.S.ラマチャンドランによる[1]。 テストに使われる図形の例。この図を被験者に示して、どちらがブーバで、どちらがキキかを聞くと、大多数の人間が「左の図形がキキで、右の図形がブーバだ」と答える。 それぞれ丸い曲線とギザギザの直線とからなる2つの図形を被験者に見せる。どちらか一方の名がブーバで、他方の名がキキであるといい、どちらがどの名だと思うかを聞く。すると、98%ほどの大多数の人は「曲線図形がブーバで、ギザギザ図形がキキだ」と答える[2]。しかもこの結果は被験者の母語にはほとんど関係がなく、また大人と幼児でもほとんど変わらないとされる。このブーバ/キキの対比は一般には

    ブーバ/キキ効果 - Wikipedia
  • 君の形容詞 - 世界は称賛に値する

    ▼▼形容詞はおのおののものだろう。誰にでも自分だけの形容詞があるんだよなってよく思う。見えてしまう形容詞を誰だって抱えている。捨てることはできなそうだ。従うしかない。従順を装うか、あるいは、誠実に向き合うしかないんだと思う。結局ほかには「進むべきところ」なんてない。なかったりするんだろうな、と考えていた。 ▼▼理解した時に「強い」と感じてしまうところがあり、認識した時に「賢い」と感じてしまうところがあり、覚悟した時に「美しい」と感じてしまうところだってあって、結局は逃げられないんだと思う。陳腐でありがちだろうけど、形容詞を捨てて、ほかに目指そうと思えるところなんてあるかなー、って思う、のだった。 ▼▼世間的な「強い」って認識を壊そうとしても君の中の「強い」って形容詞はやっぱり捨てられないだろうし、一般的な「賢い」を崩そうとしたって君の中の「賢い」って形容詞は別に嘘になったりしないだろう。し

    君の形容詞 - 世界は称賛に値する
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/11/12
    『誰にでも自分だけの形容詞がある』
  • アウトプットを見せるのとインプットを見せるの - 世界は称賛に値する

    ▼▼心情や感情を想起させよう操作しよう、と企んでみるなら、同じ感情を見せても駄目駄目なのさ、って言えるかな。現象Xに行き会って「怖く」なった時に、アウトプットである「怖い」を強調してみせても「怖がらせる」ことはできなくて、つまりインプットである「現象X」を緻密に語ってみせるほうが、余程「怖がらせる」ことができる。みたいなことかな? 説明と描写をこう理解しておくと活用できそうかなー、と思った。

    アウトプットを見せるのとインプットを見せるの - 世界は称賛に値する
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/11/12
    なるほどと思った。みんなそうなんだなって。しかしその緻密に語られたものから現象Xを想像することができない自分は、怖いと言ってもらわなければわからないというなさばなorz
  • 人間の感覚は逆説的に働くのかもしれない - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    学生の頃、ほんの少しだけ音楽をかじっていただけなので、そのあたりの曖昧さは許していただきたいとは思うのだけれど、和音について、少し思うところを書いてみたいと思います。音楽にあまり詳しくない方でもわかるように書いていますので、しばしおつきあいを。 ●    ● 12の音階を持つ西洋音楽の考え方ですが、和音は、1度、3度、5度の組み合わせである三和音(3つの音が重なる和音)が基ですよね。この三和音は、4つしかありません。長三和音、短三和音、減三和音、増三和音。この4つ。ギターをやっている人は、コードネームで書く方がわかりやすいですよね。Cをルート音として書くと、C、Cm、Cdim、Caug。メジャー、マイナー、ディミニッシュ、オーギュメント。この4つです。それ以外の組み合わせでは、和音にはなりません。 そこにルート音から7度の音を合わせたのが四和音。C7とか、Cm7とか、Cmaj7とか。厳密

    人間の感覚は逆説的に働くのかもしれない - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/10/29
    『人間の感覚って現象に対して逆説的に働くのではないのかな…Cmaj7のドとシなんかの例が象徴的なんですが、そうした矛盾みたいなものが中にあることによって、はじめて広がりとか透明感とかが感じられる、というか』
  • 彼女がスケッチ大会で「特選」を獲った絵 - 琥珀色の戯言

    才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか(はてな匿名ダイアリー) ↑のエントリを読んで、ちょっとモヤモヤしていたことなど。 最近ある女性に聞いた話。 彼女は子どものころから絵を描くのが好きで、学校のスケッチ大会では、いつも賞をもらっていたそうだ。 でも、彼女の絵は、「入選」どまりがほとんど。写実的に、その場にあるものをあるがままにリアルに描くという彼女の「作風」は、学校の先生たちにあまりウケがよくなかったらしい。同級生たちには、「Aちゃんの絵はあんなに上手いのに、なんで特選にならないんだろうね」といつも言われていたとのこと。 そんな彼女の絵が、一度だけ「特選」に輝いたことがあった。 スケッチ大会の日、彼女はお城の風景を描いていたのだが、途中でとりかえしがつかないミスをして、修正液で間違ったところを消そうとした。 ところが、その「修正」した部位には、上から絵の具がうまく乗らな

    彼女がスケッチ大会で「特選」を獲った絵 - 琥珀色の戯言
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/16
    『どうも、子どもの作品というのは、「子どもらしさ」とか「自由な発想」というような、「大人が押し付けた、あるべき子供像」みたいなもので評価されがちな傾向があるらしい。』
  • 「意味」を問うことの意味について - 花と石ころ

    「「意味をひとつ一つ考えるのではなく、花束を受け取るように受け取って欲しい」 - 花と石ころ」について予想外にブックマークをいただいたので、少し続けて考えてみます。 先の記事で述べたとおり、「“意味”を問うことで、受け取ることができるものが狭くなる領域」というのはあると思うのですが、すると、ブックマークにおけるid:kokokubetaさんの指摘のとおり、「こう考えると、逆になぜ意味を問うてしまうのだろうとも考えられる」という問いが発生します。あるいは、id:udyさんの「国語の授業における文章読解訓練の賜物」という指摘を受けると、「「意味」を問うことの意味」って何なのだろう、ということを考える必要が生じます。 このことについては、私もずっともやもやしたままなんですが、あやふやな言い方をすると、「「意味」しか問えなくなることも問題だけれども、「意味」について考えることができないというのもま

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    delayedresolve 2009/04/03
    『日常の「物語的理解」とは外れた、非-物語的理解の力が必要になるのです』<非-物語的理解が無理な者の文学的なものへの接し方は…。
  • 「意味をひとつ一つ考えるのではなく、花束を受け取るように受け取って欲しい」 - 花と石ころ

    ほぼ日刊イトイ新聞より、谷川俊太郎の言葉。谷川俊太郎さんが、TV番組「題名のない音楽会」でこう言っておられました。「詩の朗読会で、詩の意味はよく聞かれるが、意味をひとつ一つ考えるのではなく、花束を受け取るように受け取って欲しい」ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。 詩にせよ短歌にせよ俳句にせよ、あるいは小説にせよ“意味”を問うことで、受け取ることができるものが狭くなる領域というのが確実に存在する。 短歌を読む際に、“これはどういう状況をあらわしているのだろうか”という問いは、最初にはこない。ふとしたときに“あれはどういうことだったのだろう?”と思うことはあるけれど、しかし、それはその歌を読むときの最優先事項ではない。短歌は、ひとまずは言葉の連鎖でしかなく、その歌の向こうに状況はないと私は考える。なにかを背景にして歌は生まれるのではない。あるいは、読まれるのではない。 花束を受け取る

    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/03
    そうできればいいとわかっていてもできない者はどうしていけばいいかということをいつも考える。
  • いまだに右左が即答できません - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これなんでしょうね。 いつかはできるようになると思ってましたが、いまだに苦手。タクシーに乗って、運転手さんに「次の交差点を右折です」なんて指示するときも、右手をぎゅっと握って、頭の中で、こっちがお箸を持つ方だから右、と確認しています。 私は右利きなんですが、お箸を左手で持ってしまうということはもちろんありません。それは体が覚えています。PCのマウスも、左クリック、右クリックを間違えることはないし、ペンも右で持ちます。でも、右左が即答できません。瞬間、右ってどっちだろ、という間があるんですね。だから、視力検診なんかはすごく苦手で、汗ばむほど右手を握りっぱなし。 この感覚、なんだろ。こういうのって、よくあることなのかな。東西南北もあまり得意ではないし。そう言えば、サンデー、マンデー、ウェンズデー、といった英語の曜日も、いまだにすごくあやしいです。こんがらがることがときどきあります。 すべてを意

    いまだに右左が即答できません - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/03/24
    [sense]『すべて意味でしか理解できないのかよ、さみしいやつだね、君、芸術とかわかんないでしょ、みたいな。』
  • 『心震わすような』へのコメント

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    『心震わすような』へのコメント
  • キミたちはセンス競争から抜け出せていない。

    思うところがあったので書いておく。 「聖☆おにいさん」を面白いって言いたくない相沢が選ぶマンガアワード2008 http://d.hatena.ne.jp/osamu-teduka/20081219#1229640209 「聖☆おにいさん」が面白くない、と言うつもりは全くないし、実際にモーニングツーが家にあったら飛ばさず読んでくすっと笑うが、それでもやはり「『聖☆おにいさん』って面白いよね」とは言いたくないのだった。「聖☆おにいさん」が嫌いだというわけではなく、だから作者にもマンガにも罪はないが、「聖☆おにいさん」をとりまく空気が嫌いだ。それは「聖☆おにいさん」がものすごく売れているっていう事実とか、「聖☆おにいさん」を好きだって言いそうな人の顔とか、そういうのを全てひっくるめて「『聖☆おにいさん』が面白いマンガとされている空気」がものすごく嫌だ。 漫画でセンス競争はしたくない。 http

    キミたちはセンス競争から抜け出せていない。
    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/21
    何かを好きだと表明する事で自分にはセンスがあるとアピールする人→センス競争は不毛だ参加したくない作品を素直に楽しもう→センス競争をする人達を超越してるピュアな自分って凄いと自己陶酔してるだけ→…
  • Latest topics > JPOP王道進行とウンコ曲と「違いが分かる人」 - outsider reflex

    Latest topics > JPOP王道進行とウンコ曲と「違いが分かる人」 宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! « 分割ブラウザ、マルチプルタブハンドラの連携の改善 Main 分割ブラウザの解説動画色々 » JPOP王道進行とウンコ曲と「違いが分かる人」 - Oct 19, 2008 「JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた」 日でこの30年近くの間にヒットした曲の多くが、共通した性質、法則を持っている。 欧米で一時期流行ってあっという間に廃れた「ユーロビート」は日でだけは今も親しまれているが、このユーロビートの曲もJPOPの曲と共通した性質を持っている。 売れないアーティストでも、この「王道進行」に則って

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    delayedresolve 2008/12/10
    『「人の言うことを気にせず自分の素直な判断を信じればいい」と、その専門家の人は言うのですよ。…でもね、僕のような人間が自分の「素直な感性」に従って物を選んだら、「失敗」してしまうんだよ。』
  • もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに

    どうも日の学校って、何かと精神論になりがちなところがある気がする。 少なくとも俺の通ってたとこはそんな感じで。 例えば小学生の時。絵を描きましょう、なんて時間になったとき。先生は、何も言わない。ただ、校庭に出て、好きな物を見つけて、それを一生懸命描きなさい、心をこめて描きなさい、って言うだけ。 んなさ。心こめて描けっていってもさ。 あと、先生は、「課題物を描けなんて小学生には荷が重いだろうから、なんでもいいから自由に描くようにさせてみよう」って思ったのかもしれないけど、寧ろ、「自由にやれ」なんてほど難しいもんってない。 分からないままに、なんか適当に木を選んで、描き方もよくわからないから、なんか適当に色塗ったりした。 自分でもなんかよくわからんから、ってスタンスで描いてるから、できた絵も当然、別に気に入らない。ド下手とは感じなかったけど、もっとうまく、写実的に描けないものかな(写実的なん

    もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに
    delayedresolve
    delayedresolve 2008/08/30
    『外歩いて、好きなものを、子供のナチュラルな目線のまま描きましょう、的な。でもさ、んなこと言われても、俺ら描けない。描き方も教わらず、何を描けとも教わらず、ただただ「自由にやってみろ」って…』
  • 趣味の悪さというもの - good2nd

    女の子の部屋に行って壁に架けてあるのが動物写真のカレンダーなんかだったら害がなくていいのですが、ラッセンの絵が貼ってあったら僕は「うわ、趣味悪いな」と思わずにはおれないでしょう。決して「この子は自分とは好みが違うんだな」ではない。口では「僕とは好みが違うかなぁ」と言うかもしれないけど、実際には「趣味が悪い」と思うのであって「自分と違う」と思うのでは絶対にない。 ある作品なり何なりを良いと思うかどうかは人によって違いますが、それが人気があるかどうかということと同様に、それが優れたものであるかどうかということもまた別の話です。「優れているかどうか」という評価も人によって差があることは確かですが、それはある程度までであって、完全に相対的ではありません。つまり、駄目なものがあり、駄目なものを好む人がいる。 趣味の悪さを指摘されると「自分の価値観を押しつけるな」などと言う人がいるわけですが、そうでは

    delayedresolve
    delayedresolve 2007/11/11
    『好みと人気と優劣はすべて別々の要素です』
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