日本軍「慰安婦」は戦時売春婦である――などと主張する山本優美子氏(なでしこアクション)ら日本の“右派”活動グループは昨年12月、米国カリフォルニア州の2カ所で「慰安婦問題に終止符を!」をテーマに集会を開いた。だが、サンフランシスコ近郊の会場では現地の平和・人権団体による集会への抗議デモが実施された。 「反核行動委員会」や「平和を求める退役軍人の会」といった市民団体が中心で、筆者が関わる「脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク(FeND)」を含めた複数の団体も賛同した。 米国の平和団体はなぜこの問題に関心を寄せるのか。反核行動委員会のスティーブ・ゼルツァー氏は、「安倍政権は米国の後押しを受けて軍国主義化を進めている」と語り、「過去の戦争の歴史を書き換えることは、新たな戦争をはじめる第一歩だ」と警鐘を鳴らす。 平和を求める退役軍人の会のマイケル・ウォン氏はそれに続き、日本が第二次世界大
著者は、調査や研究の方法論を議論する際には、「現存する公文書のみが慰安婦制度の全体像を描けるとは考えることができない」(153)とし、それゆえに、「元慰安婦の証言」を重視する必要性を説く。さらに、公式に残された文書は、歴史学において「公文書の書き手ではなかった女性や人種、民族的に抑圧されていた人々の声によって問い直されている」とオーラルヒストリーの重要性を指摘する(153)[i]。確かに、「慰安婦」問題については、文献から歴史を調べて行こうとしても、敗戦時、文書資料が焼却されたりしてほとんど文書が残っていないことが多いことや、元「慰安婦」にされた人たちの声は公文書には載っていないために、「慰安婦」をはじめ関係者の語りが非常に重要であるという主張は、まったく正しい。 240頁ある本書の大半は、「慰安婦」をめぐって、今何が起きているか、という「慰安婦問題」を扱っている。オーラルヒストリーという
過激派組織「イスラム国」が日本人の湯川遥菜さんと後藤健二さんを拘束し、日本政府などに要求を突き付けた事件が、日本社会を震撼させた。テレビも連日、イスラム国の人質事件のニュースを流しているが、現地の実情にくわしいジャーナリストがコメンテイターとして報道番組に出演することも多い。 そのうちの一人が、フリージャーナリストの安田純平さんだ。安田さんは、イラク・シリアを継続的に取材しており、後藤さんとも親交がある。また、かつてイラクで武装勢力に身柄を拘束され、解放された経験も持っている。今回の事件に対する日本政府の対応や、紛争地帯での取材の是非について、率直に語ってもらった。 ●日本社会に望まれる「懐の深さ」 ——人質問題について、これまでの政府対応をどう見ている? イスラム国による2人の日本人の拘束を把握してから事件が表沙汰になるまで、現場レベルでは解決に向けて、一生懸命に取り組んでいたのだと思い
クルド人部隊がアメリカ主導の空爆の支援を受け、シリア北部のクルド人の街コバニを過激派組織「イスラム国」から奪還した。しかし、シリア人は口々に「賞賛には値しない」という。 SANLIURFA, TURKEY - OCTOBER 28: (TURKEY OUT) An explosion following an air-strike in the Syrian town of Kobani from near the Mursitpinar border crossing on the Turkish-Syrian border in the southeastern town of Suruc in Sanliurfa province October 28, 2014. It has been reported that 150 Iraqi peshmerga from Iraq's n
柔道五輪銀メダリストの小川直也氏(46)が道場長を務める神奈川県茅ケ崎市の小川道場で、小川氏が継続的に暴力をふるっていたとする陳述書が、指導料の支払いを巡る訴訟の中で被告側の元道場生の親から出されていることがわかった。小川氏は朝日新聞の取材に、詳しい日時など「具体的な内容がなくて答えようがない」と話している。 陳述書は、指導料など約100万円が未払いだとして、小川氏が昨年6月に藤沢簡裁に起こした訴訟で出された。被告は道場をやめた同県大磯町の男子小学生の両親で、中学3年まで続けた場合に限って指導料を免除するという契約を交わしたとする小川氏に対し、「指導料免除を使って長期にわたって人を拘束する契約は無効」と支払いを拒否。陳述書は、2008年から12年にかけて道場に通っていた別の小中学生の親2人が昨秋に提出した。 子ども2人が道場に通った茅ケ崎市の母親の陳述書によると、小川氏はプラスチック製のバ
憲法研究者で東大名誉教授の奥平康弘(おくだいら・やすひろ)さんが26日、急性心筋梗塞(こうそく)のため東京都内の自宅で死去した。85歳だった。遺族によると、葬儀は近親者で行われた。 1929年、北海道函館市生まれ。東大社会科学研究所教授などを歴任し、「『表現の自由』を求めて」(岩波書店、99年)、「憲法の想像力」(日本評論社、03年)などの著書がある。70年代はじめに、情報公開法のモデルとなった米国の情報自由法を日本で紹介。「知る権利」が基礎にあると指摘した。表現の自由はなぜ手厚く保障されなくてはならないのかという問題を追究し、理論的な基盤を築いた。 憲法研究者の立場から04年にできた「九条の会」の呼びかけ人に加わった。「憲法はつねに未完であり、世代を超えていきいきとした社会をつくるために憲法は必要なのだ」と発言し、改憲の動きに警鐘を鳴らし続けた。同会は近く「お別れの会」を開く。
表現の自由の研究者として知られ、憲法9条についても積極的に発言してきた、東京大学名誉教授の奥平康弘さんが、今月26日、東京都内の自宅で亡くなりました。 85歳でした。 奥平さんは、昭和4年、北海道函館市に生まれ、東京大学卒業後、東京大学や国際基督教大学の教授を長く務め、この間、表現の自由などについて研究してきました。 また、憲法9条についても積極的に発言し、平成16年には、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらとともに憲法9条を守ろうと呼びかけ、「九条の会」を発足させました。 去年7月、政府が閣議決定した、集団的自衛権の行使容認に反対する立場から、「九条の会」のメンバーや、ほかの憲法学者らとともに、集会や記者会見などの場で発言を繰り返してきました。 奥平さんは、亡くなる前日にも、都内の集会に参加していたということですが、今月26日未明、急性心筋梗塞のため、都内の自宅で亡くなったということです。
今年は東京でオウムのサリンテロが起こってから 20年目です。 既に記憶がないという人も多いでしょうが、地下鉄サリン事件(私は「地下鉄サリンテロ」って呼ぶべきだと考えています)は、 世界を震撼させた先進国・都市型の無差別テロであり、化学兵器テロでした。 東京のど真ん中で起きた大規模テロということで、世界でも大々的に報道されたのです。 私はあの朝いつものように、半分眠ったまま地下鉄に乗っていたのですが、降りようとした霞ヶ関駅で突然「駅に汚物が撒かれたため、停まらず通過します」という車内アナウンスが流れました。 「まじ!? 遅刻するじゃん!? 誰よ? 朝から汚物撒いたの?」などとブツクサ言いながら次の駅で降りたところ、 地上には多くの救急車と消防車が集まっており、その騒然とした雰囲気に一気に目が覚めました。 10分早起きしていたら、私も被害者のひとりだったのかもしれません。 ★★★ 既に忘れてい
去年の 6月、シリアとイラクにまたがる地域に、イスラム国という国が現れました。その後の行動を見る限り、まさにテロ国家の誕生です。 その行動は、人質の処刑(首切り)を youtube で公開するなど、残虐性を極めています。しかも驚くのは、アメリカやイギリスを含め、先進国からこの国に馳せ参じ、戦闘員になる人が少なからず存在するということ。 彼らが本国に戻ってテロを起こすケースもあれば、先進国でテロを起こした後、イスラム国に逃げ込む人もでてきています。 アメリカは空爆も始めたけれど、事態が劇的に好転しているとも思えません。先進国での(彼らの影響を受けた)テロも頻発しています。 「コレ、いったいどーすんの?」って感じです。 とはいえ、日本も他人事ではありません。オウムは世界を震撼させた日本オリジナルのテロ集団だし、イスラム国や過激派の行動に共感した日本人の存在も報道されています。 そしてなによりも
熊から逃げ回るナショジオクルーの4人組! と思いきや、これは完璧なコラ画像。「ナショナルジオグラフィックの裏側」というキャプションつきで出回っているニセ物でした。 最近、原文筆者がコラ画像だったという記事を書いたところ、コロラド州の映像作家ティム・スパークスからツイッター経由で連絡がありました。彼こそが、逃げ惑う4人の中の赤毛髭モジャ男で、2011年にこのコラ画像を作ったのだと。スパークスと他の3人は、コロラド州サライダ近辺で映画のロケハンをしていたのだそう。(ちなみにその映画は未完成) 「家族も友だちも、みんな俺たちが山の中にロケハンに行ってるのを知ってたから、熊に追いかけられてるニセ写真を作ってフェイスブックに投稿したらウケるかなと思って。実際、家族にも友達にも大ウケだったよ」とスパークスは言ってました。 送ってくれた、熊を追加する前のオリジナルの写真がこちら。 フェイスブックに投稿し
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く