tiro(ちろ)🌗 @tirorin1220 放課後に二人夕焼け見た橋は終わりの時まで残していいよね わたしたち最後の二人になったけど鹿ハクビシン猪もいる 好きだったパン屋も本屋も滅ぼしてごめんと荒れた髪の毛を撫でる 二人きり暮らすことだけ考えて土地がなくなるなんて笑うね #足立区短歌
tiro(ちろ)🌗 @tirorin1220 放課後に二人夕焼け見た橋は終わりの時まで残していいよね わたしたち最後の二人になったけど鹿ハクビシン猪もいる 好きだったパン屋も本屋も滅ぼしてごめんと荒れた髪の毛を撫でる 二人きり暮らすことだけ考えて土地がなくなるなんて笑うね #足立区短歌
歌人名は平仮名のよみ(現代仮名遣)でも検索可能です。 例:ふじわらのさだいえ,こまち,さいぎょう,ごとばのいん 一部人名に旧字体(正字体)を用いている場合もあります。例:兼藝 読み方の手引 六歌仙|三十六歌仙|中古三十六歌仙|女房三十六歌仙|新三十六歌仙|集外三十六歌仙|小倉百人一首 ●新規登録 足代弘訓 松永貞徳 飛鳥井雅顕 冷泉為景 佐久間象山 荒木田久老 久坂玄瑞 堀田一輝 ●改訂(歌の入れ替え、略伝・注釈・鑑賞の追加・訂正など) 三十六歌仙 永福門院 ―緒言― 神代の伝承歌から幕末の橘曙覧・伴林光平まで、千の歌人(神様含む)の和歌をおよそ1万首集めよう、という企画です。いわば、歌人別テキストデータベースに、詞華集の性格を併せ持たせた、折衷体といったところでしょうか。 凡その方針としては、 群書類従・私家集大成・新編国歌大観をはじめ多種の刊本を参考にし、時には写本・古版本等にもあたっ
万葉集から江戸時代までの和歌、つまり古典和歌では、現代短歌では当たり前のことが当たり前でなかった。今から見ると考えられないような不思議がいくつもあります。その不思議を一つずつ乗り越えることで、短歌の近代化はなしとげられていったわけですね。 私がとくに不思議に思うことは二つ。古典和歌には食べる歌・食物の歌がないこと。そして人間の身体の部分の名前(身体語彙)がほとんど出てこないこと。この二つです。 たとえば、万葉集には鵜飼いの歌や若菜摘みの歌はありますが、鮎や若菜を食べている歌はありません。酒を例外として、飲食をうたうのは避けられていたようです。幕末になってようやく食べる歌がでてきますが、それまでは皆無に近い。 食うことは個人的なことですし、人前で言葉にすべきことではないとされたのでしょう。料理もほとんどうたわれませんでした。 身体語彙も、ほとんど出てきません。例外は女性の髪ぐらいでしょうか。
このところ、自分の無知を痛感して、和歌や短歌に関する本ばかり読み漁っているのだが、こと和歌に関して、ようやくこれぞと思える概説書に出会えたように思っている。先日の岩波ジュニア新書『古典和歌入門』の著者、渡部泰明による、和歌の読み方に革命をもたらしてくれる一冊。 和歌とは何か (岩波新書) 作者: 渡部泰明 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2009/07/22 メディア: 新書 購入: 10人 クリック: 51回 この商品を含むブログ (15件) を見る 渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年。 ダジャレのように聞こえるかもしれないが、和歌はわかりにくい。それも、とってもわかりにくい。このわかりにくさの理由は、詠まれている言語が古語である、というだけではない。それならば現代語の散文に訳されたものを読めば、書かれている内容くらいは把握できるはずである。ところが、散文に訳されたもの
現代短歌に熱を上げはじめたわたしに、友人が読書ガイドとして薦めてくれた一冊。初めに書いてしまうと、これは人生を変える一冊である。いや、ほんとうに人生を変えられるかどうかは、これを読み終えた読者のその後次第なのだろうが、ここにはもう一生困らないほどの数の歌人たちが紹介されているのだ。同じく岩波新書から刊行されている『近代秀歌』の好評を経て書かれた、永田和宏による現代歌人版百人一首。 現代秀歌 (岩波新書) 作者: 永田和宏 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2014/10/22 メディア: 新書 この商品を含むブログ (7件) を見る 永田和宏『現代秀歌』岩波新書、2014年。 明治から戦前までの歌人を採りあげた『近代秀歌』、じつはわたしはまだ読んでいないのだが、これはその姉妹編にあたる、戦後から1970年までの生まれで、おもに昭和期に活躍した歌人百人が紹介された本である。ちょうどわた
すこしあいだが空いてしまったものの、相変わらず短歌に関連した本ばかり読みつづけている。なにも知らない分野なぶん、インプットが非常に多いわりには、得たものをろくに吟味・反芻できていない気がしていて、じつは『現代秀歌』の記事を書いている最中に思いついた、掲載短歌をノートに筆写する、というのを実行していたのだ。いろいろな歌人のたくさんの歌が紹介されている本を読むときには、こうでもしないとどんどん記憶が混乱していってしまう。ノート一ページにつき歌人一人というルールを設けて、出会った瞬間に感じた好き嫌いはいっそ度外視し(いつか魅力がわかるようになるかもしれないので)、『現代秀歌』に掲載されていた百人の歌人の短歌はすべて筆写した。そうすると、『現代秀歌』の場合は歌人一人につきだいたい三首くらいしか紹介されていないので、ノートは下半分以上がまっしろなページが延々と続くことになる。そこで、別のアンソロジー
荻原裕幸(おぎはら・ひろゆき)は1962年生まれ。愛知県立大学外国語学部フランス学科卒業。1986年の「玲瓏」創刊に参加し、塚本邦雄に師事。1987年「青年霊歌」にて第30回短歌研究新人賞を受賞。「青年霊歌」「甘藍派宣言」「あるまじろん」「世紀末くん!」の4つの歌集があり、全歌集「デジタル・ビスケット」にすべて収められている。 穂村弘、加藤治郎とともにニューウェーブ短歌三羽烏と言われる一人である。しかし「玲瓏」退会後は無所属であることもあってかやや作品の発表機会が少ない。しかし現代短歌の一つの潮流を作り上げた重要人物であることは間違いない。 オートバイ星の光にゆだねをり青春といふ酔ひ醒むるまで 剥がされしマフィア映画のポスターの画鋲の星座けふも動かぬ ディズニーの服の少女を乗せて去る赤き車の行方を知らず 処女座のごとく球散るビリヤードの卓のみどりの朝に覚(めざ)めつ ネロのごとわれは見おろ
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "短歌" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2016年10月) 短歌(たんか)とは、和歌の一形式で五・七・五・七・七の五句体の歌体のこと。ただし短歌は古より詠まれている歌体であるが、この項目では明治以降の短歌すなわち近代短歌と現代の短歌について取り上げる。つまりは五・七・五・七・七とは限らない。 短歌は記紀歌謡や『万葉集』初期の作品にはすでに見られるもので、古今を通じ広く行われ、長歌や旋頭歌が詠まれることがなくなるにつれて、和歌といえば短歌をさすようになった。五・七・五・七・七の五句体(31モーラ)の詩形は、その時代に盛んで
用言(動詞・形容詞・形容動詞)及び助動詞が他の語に接続する場合の語形変化を活用と呼び、未然・連用・終止・連体・已然・命令の六活用形があります。 未然形には助詞「ば」が付いて未然(まだそうならない状態)の条件節を作ります。例えば「吹く」の未然形「吹か」に助詞「ば」が付いた「吹かば」は、「もし吹いたならば」といった意味です。未然形には、打消(否定)の助動詞「ず」、未来推量の助動詞「む」なども付きます。 連用形は、文を中止する場合(風吹き、花散る)や、動詞につなげる場合(風吹きしきる)の活用形です。「て」「つつ」などの助詞や「たり」「けり」などの助動詞も連用形に接続します(例:風吹きて…。風吹きけり)。また、「流れ」「恋ひ」などのように、連用形は体言としてはたらくことがあります。 終止形は、普通、文の終りに用いる活用形です。また、「らむ」「らし」「べし」などの助動詞や、助詞「と」「とも」などが接
帝国モードからの脱出 塚本邦雄の破調 短歌人2007,4 「破調」というのは、すでにある「定型」の「調べ」を破ること、いわば、表現上のテロリズムなのだが、最近の私たちは「定型」そのものにルーズなので、「破調」というテロに対してもあまり怖がらないようになっている。そこのところをもう一度考えなおしてみようとする試みが、今月の特集であろう。 戦後、短歌の「定型」に対してもっとも果敢に戦いを挑み、しかも勝ち残った表現上のテロリストが塚本邦雄であった。塚本邦雄の「破調」は、おおまかに言って「句またがり」と「初句七音」。塚本邦雄の作品の「句またがり」のことを語るとき、どうしても第一歌集『水葬物語』から書き始めなければならない。これは、ベテランの読者には飽き飽きした話題であろうが、どうぞ、ご容赦を。 『水葬物語』冒頭の十首。 平和について 革命歌作詞家に凭りかかられてす
永井陽子の「比叡山おばけ屋敷」歌のこと 歌人の永井陽子さんとは以前交友があった。といってもお会いしたのは数回にも満たない。学生時代、わたしが属していた京大短歌会に永井さんと同時に角川短歌賞候補になった友人がいて、その人とともに短歌人の集会を訪ねたのが彼女にお会いした最初であった。 その後、一度京都に来てくれた。そのころ彼女は近畿大学の通信教育で学んでいて、そのスクーリングの機会に寄ってくれたのだった。夏の日のことだった。一乗寺向畑町のわたしの下宿に来てくれた。友人二人とともに三人で彼女を歓迎した。牛タンをひとかたまり買ってきて前日から煮込み、夕食にタンシチュウを作って皆で食べた。夜は彼女を囲み、夜を徹して連歌を巻いた。歌仙一巻ができ上がったはずだ。 翌日、皆で比叡山に行った。そして山上のおばけ屋敷に入った。わたしは彼女と手をつないだ。しっかりした大きな手だった。おばけ屋敷の方は、暗いだけで
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