猫乃一族の異端者またたび @mttb2ccp_pt2 遂にDLsiteにもクレカの圧力が… ただし簡単には屈せずに、このように代替案を出してくる辺りDLsiteは我々の側に寄り添ってくれているのがわかって信用できる というか代替案のワードが秀逸すぎるw pic.twitter.com/ZxsoDpqluz
ブラック・ホールをテーマにしたジェフ・ミルズのニュー・アルバム、戸川純が参加したことでも話題になっている『The Trip – Enter The Black Hole』が3月20日より配信にて先行リリースされている。またCDとアナログの発売も決定(CDは4月24日、LPは5月下旬)。なおCDは、サインつきのものが4月1日におこなわれる同名の舞台作品の会場(ZERO TOKYO)にて先行販売されるとのこと。LPは、内側の溝から外側の溝へ向かって再生されるという、かつてURもやっていたデトロイト仕様だ。これはぜひアナログ盤を入手しておきたいところ。下記のリリース情報およびイベント情報をチェックしておこう。 ジェフ・ミルズが導く究極のサウンドトリップ 戸川純が参加で話題のジェフ・ミルズ ニューアルバム 『THE TRIP – ENTER THE BLACK HOLE』が CD,アナログレコード
静的サイトジェネレーター「VitePress 1.0」が正式リリースされた。UIフレームワークのVueと高速なバンドラであるViteを基盤に、MarkdownのコンテンツからSPAなWebサイトを構築できる。 オープンソースとして開発されている静的サイトジェネレーターの「VitePress 1.0」正式版がリリースされました。 VitePressは、Markdownで記述されたコンテンツを静的で美しい外見を持つWebサイトへと高速に変換する機能を備えたフレームワークです。 デフォルトでテクニカルドキュメントに適したテーマが用意されており、すでにVite、Rollup、Pinia、VueUse、Vitest、D3、UnoCSS、IconifyなどのWebサイトのドキュメント部分に使われているとのことです。 VitePressは、同じく静的サイトジェネレーターである「VuePress」のモダン
子どものころTVを観ていたら「宇宙食、発売!」というコマーシャルが目に入った。それは日清食品が売り出すカップヌードルのことで、びっくりした僕は発売初日に買いに行った。ただのラーメンだとは気づかずに夢中になって食べ、空っぽになった容器を逆さまにして「宇宙船!」とか言ってみた。カップヌードルが発売された2年前、人類は初めて月面に降り立った。アポロ11号が月に降り立つプロセスは世界中でTV中継され、日本でもその夜は大人も子どももTV画面をじっと見守った。翌年明けには日本初の人工衛星が打ち上げられ、春からの大阪万博には「月の石」がやってきた。秋にはイギリスのTVドラマ「謎の円盤UFO」が始まり、小学生の子どもが「宇宙」を意識しないのは無理な年となった。アポロが月に着陸した前の年、『2001年宇宙の旅』が1週間で打ち切りになったとはとても思えない騒ぎだった。 ジェフ・ミルズが2008年から継続的に続
(CNN) スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア聖堂が、着工から140年あまりを経て2026年、ついに完成する。 6つの塔のうち最後の塔の建設が完了すれば、サグラダ・ファミリア聖堂は完成を迎える。 サグラダ・ファミリアは23年の年次報告書発表の声明で、「聖母被昇天の礼拝堂は25年に、イエス・キリストの塔は26年に完成が見込まれる」と発表した。 26年に完成予定のイエス・キリストの塔(高さ172.5メートル)は、最後に高さ17メートルの十字架を設置する。 サグラダ・ファミリア聖堂が完成すれば、ドイツのウルム大聖堂を抜いて世界一高い教会となる。 カタルーニャの建築家アントニ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリア聖堂の建設は1882年に始まった。聖堂は、それぞれ聖書の登場人物(12使徒と4人の福音書作家、聖母マリア、イエス)を象徴する18の巨大な尖塔で構成される。 ガウディが1926
閉館目前に平田オリザが語った、こまばアゴラ劇場の先駆性。「民間の小劇場としてやれることは限界までやった」2024年5月末をもって閉館すると発表された、東京・目黒区の「こまばアゴラ劇場」。同劇場の開館から約40年にわたる歴史を、芸術総監督を務める平田オリザにインタビュー。見えてきたのは、演劇を取り巻く時代の変化と場所性、未来を見据えた挑戦の軌跡だった。 聞き手・文=望月花妃 撮影=軍司拓実 こまばアゴラ劇場 外観 開館と閉館、それぞれの背景──閉館が決まったこまばアゴラ劇場について、まず開館の経緯をお聞かせください。 この劇場の始まりは、僕の父が1984年に自宅を改装して建てたというものでした。当時ここは木造の2階建てで、表側は商店街。それも昭和の時代ですから、商店街もまだお店がたくさんありました。僕の父は売れないシナリオライターでしたが、若い頃に演劇をやっていたので自宅を劇場にするのが夢だ
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