乳児期に行われる視線と触知と聴覚(音声)の最初の編成という考え方のなかで重要なのは、この編成がどんな歪みを、どこの近くの部位に産み出しているかということと、どんなものが主たる病的な編成であるかというふたつのことにあるといえよう。 吉本隆明『心的現象論本論』p.389「了解論 了解の変容(8)」 NHKの「SONGS」という番組に宇多田ヒカルが出ていた。出ていた、というか、宇多田ヒカルがかえってきた! という感じ。先日のミュージックステーションでも見たけれど。それで、糸井重里と対談なんかしていた。 そのなかで、宇多田ヒカルがおもしろいことを言っていた。精確には書き起こせないが、だいたい次のようなことだ。 自分という存在、自分の心というものの原初、源には、自分の物心というものがつくまえの乳幼児の段階があり、それが今の自らをも構成している はずである。ところが、その自分の原初というものを、自分は