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2013年1月27日のブックマーク (12件)

  • なぜミミズは自殺するのか?それを鳥も食わないのはなぜ? - OKWAVE

    こんばんは. 私も質問者様と同じような経験を幾度も見ております. その原因はこれまで推測しておりましたが, なにせ自然の生物が相手のため, 容易に確認ができませんでした. 実は私の研究室の小さな庭に花壇兼用の畑を作っています. その畑に腐葉土を作る目的で, 山から広葉樹の落ち葉を多量に採集して, 畑の片隅に積んでいます. そこでミミズを使用した『ミミズ堆肥』をおこなっています. 現在ミミズの数を数える事はできませんが, 相当多量の数までに自然繁殖しているようです. その畑からちょくちょくミミズが這い出すと, 畑から飛び出るように隣接したコンクリート製階段でミイラ化していたのです. そこでご質問と同じような疑問が以前から湧いていたのです. ご質問者さまや他の回答者さまが既にお話の様子は, 昔から自然界でもこの現象を私自身も確認しています. ところが我が家の場合,畑と腐葉土が乾燥すると当然多量

    なぜミミズは自殺するのか?それを鳥も食わないのはなぜ? - OKWAVE
  • はてなブログとはてなダイアリー - chillpoyo

    2013-01-20 はてなブログとはてなダイアリー この文章は、はてなブログチームの社内ブログに書こうと思っていたんだけど、みんな忙しそうだし、目の前の課題や継続的デリバリーといっさいかかわりの無い話なので、水を差したらいけないと思い、書きあぐねていた。このままだと書かずに消えてしまいそうだし、ぼんやりと考えていたことで、思いつきでしかないから、ここに書こう。はてなブログとはてなダイアリーについて書く前に、一冊のを紹介したい。丸谷才一の『文学のレッスン』という。簡単に読めるで、すばらしいだ。ぼくは今、オレンジジュースを飲みながら書いているんだけど、飛行機に乗るといつも、オレンジジュースを飲むことにしている。快適なんだけど、なんとなく不安なときに飲む。このは、飛行機の座席でいつも注文するオレンジジュースのようなだ。二十五才の自分に一冊、手渡せるとしたら、このを選ぶ。二〇一〇年

  • 地元で生きる、ということ。 - pass the note around

    お久しぶりです(誰に向かって言っているのやら)。最近、忙しさと夏風邪にやられて更新が滞っていましたが、感想と励ましのメールをいただき、重い腰をあげることにしました(単純ですね)。 それはさておき、少しだけじぶんの昔話をさせてください。僕は地方の出身で、学生時代を東京で過ごしていたのですが、上京してしばらくのあいだ、出身県関連の財団が運営していた寮に住んでました。 そこは県のカラーがむちゃくちゃ濃い寮で、休憩室のテーブルには寮生の実家から送られてきた県産品のおすそわけが(ほぼ)常備され、ここに入った者は、我が県のシンボルともいうべき伝統芸能を習得しなければならない、という暗黙のルールまであったのでした。 風呂・トイレ共有、掃除当番あり、2昼寝つき・格安家賃・飲み会多数のこの寮、地方から身一つで花の都・大東京にやってきた僕にとっては、かなり居心地のよいところでした。しかし、残念なことに通って

    地元で生きる、ということ。 - pass the note around
    dskw
    dskw 2013/01/27
    『学歴社会のローカル・トラック』読後
  • 死ぬまでに身につけたい、たった一つの大切なもの。 - デマこい!

    大学を卒業したばかりの頃だ。 当時の上司から「学生気分が抜けていない」と叱られた。「この会社でやりたいことを見つけて、そこに熱意を注ぎなさい」と言われた。至極もっともな意見だ。たしかに私は、仕事に対してやる気のない、ふぬけた会社員だった。 しかし、彼はちょっと沈黙してから付け加えた。 「……まあ俺も、何をやりたいのかって訊かれたら困るけど」 僕に仕事を頼んでくる人の方が僕の能力や適性について僕以上によくわかっているということ。向こうは僕にならそれができると思うから頼んでくるわけです。 就活についてのインタビュー (内田樹の研究室) やりたいことを見つけられなくても、「会社」が仕事を与えてくれるのならいい。無目的に流されながらでも、それなりに生きていける。しかし逆にいえば、「仕事を頼んでくる相手」は、べつに会社でなくてもかまわない。 大人は、組織に属しなさいという。それ自体は悪いことじゃない

    死ぬまでに身につけたい、たった一つの大切なもの。 - デマこい!
  • 地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    事実誤認している箇所がありました。これから修正します。 2013.1.18 「自分の体験談」で文章を紡ぐと言うこと 〜「ヨソ者=『2級市民』」その後〜 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月に続きを書きました。 2013.1.21

    地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 『続・有機栽培と慣行栽培の間に何があるのか?』

    ええっと、アクセスが増えるとおかしなことも増えますね(苦笑) まず書いておきたいのは、基的に有機栽培や○○農法を貶めることが目的ではない、です。 私が指摘したいのは、消費者の無知に乗じて、一部の広告宣伝の方法が過激化している点です。今後、消費者が正しい知識を持ち始めた時に、逆に自らの立場を貶めてしまい更には仲間をも貶めてしまう。その点についてのみ、大きな異論を持っています。 連載においては、今後も消費者の知らない事実のみを書いてゆきますし、今後も多くの方が書かれるでしょう。その際に、現在のような広告がなされていると問題だと思っているということです。 私は、有機栽培は岐路に立っていると、考えている。何故なのか? 理由は、スーパーの野菜売り場を数件回ってみてください。数年前とは様変わりしつつあることを感じないでしょうか? ポップが複数あり、生産者集団の小冊子までおいてありませんか? 地元のス

    『続・有機栽培と慣行栽培の間に何があるのか?』
  • 『有機栽培と慣行栽培の間にあるものは?』

    先日来、微妙な話題が続いているが、私自身は実は有機栽培と慣行栽培の違いをほとんど感じていない。 有機栽培の方は慣行栽培を、慣行栽培の方は有機栽培を、目の敵にする傾向がある。実際、その隔たりは大きい。更に細分化された自らの農法以外を敵視するケースもある。 そのため、表現に細心の注意を払う必要があるわけだが、私からするといったいなにがそんなに違うのか、さっぱりわからない。というか、理解できない。 極論すると、有機栽培と慣行栽培の違いは、化学肥料と農薬を使用しないだけだ。 栽培という観点で見れば、すこし、使用する資材が違うだけ・・・ 「その違いが大きいのだ」という意見があると思うが、それでもさっぱりだ。私は、栽培現場を見ているので見る観点は、なんの資材を使用しているかなど関係ない。 生育がどうなのかを把握し、目指す方向にコントロールするためには何をしなくてはいけないのかを考えるだけ。 その私から

    『有機栽培と慣行栽培の間にあるものは?』
  • 50年前の考え方で今日の農薬を評価することはできない - FoodWatchJapan

    消費者の間ではよく理解されていないが、農薬はこの50年あまりの間に大きな変化を遂げている。「沈黙の春」(レイチェル・カーソン)が発表された1960年代から「複合汚染」(有吉佐和子)が発表された1970年代の農薬と、今日の農薬とを同じように考えることには無理がある。 現在の農薬は危険性がコントロールされている まず、これまで述べたような残留性のある化学合成農薬の大部分は、すでに淘汰され、黎明期の農薬に比べると格段に安全になっている。農場で農薬を使用しても速やかに分解して無害になるものが大部分になり、仮に使用時点で一定の毒性があるものでも、それを使用した作物が収穫されて消費者の元に届くまでの間には消失してしまう。農薬メーカーはその分解の様子を調べていて、品に残留することがないような使用方法を明確に定めている。農業生産者が使用方法を誤らず正しく使えば、農薬による害が起こらないように配慮されてい

    50年前の考え方で今日の農薬を評価することはできない - FoodWatchJapan
  • 化学肥料の問題点は“依存”にある - FoodWatchJapan

    先に、化学肥料を与えるだけの栽培を続けていると、農産物を生産する畑としての機能を失ってしまうと書いた。そのメカニズムをもう少し詳しく見ておく。 化学肥料自体に問題はなく化学肥料依存が問題 化学肥料というのは、植物に必要な栄養分を人工的に化合して作ったもので、たとえば窒素肥料であれば、窒素と別の物質がくっついている。窒素肥料の代表的なものに硫安があるが、これはアンモニウムイオン(NH4+)と硫酸根(SO4–)がくっついたものだ。このアンモニウムイオン中の窒素(アンモニア態窒素)は植物が吸収するが、硫酸根は土壌に残る。これを一般に副成分と呼んでいて、植物の生長について一定の役割もあるもののさほど必要なものではないため、これが土壌に残る量は増えていく。そして土壌に残留する副成分があまりにも過剰になると、栽培にも悪影響を及ぼすようになってしまう。 塩化カリというカリウムの肥料があるが、これは、カリ

    化学肥料の問題点は“依存”にある - FoodWatchJapan
  • 有機栽培は作物の安全・安心のためではなかった - FoodWatchJapan

    農薬にはどのような危険があるだろうか。また、どの程度危険なものなのだろうか。これはものによって一様ではなく、時代によっても異なる。たとえば、化学合成農薬の中でも、かつて販売されていたり広範に使用されていたものには、かなり危険なものがあったが、今日流通している農薬は、それらとはまた事情が異なる。 農薬の急性毒性・残留性・催奇性 農薬の危険性として、まずいちばんわかりやすいものは、飲むと死んでしまうといった急性毒性だろう。これを利用した殺人事件や自殺などもあったし、誤飲による事故も相次いだ。こうしたことが、「農薬は恐ろしいものである」という認識が広がった原因の一つだろう。これらへの対策として、販売される農薬が薄められるようになったり、保管や販売に厳しい規制が行われるようになった。 ただ、農薬はもともと人が飲むためのものではないので、急性毒性の強さを根拠に農薬の使用が有害であると考えるのは短絡と

    有機栽培は作物の安全・安心のためではなかった - FoodWatchJapan
  • 有機農業を理解するには農薬と化学肥料を理解する必要がある - FoodWatchJapan

    現在、安全や安心な農産物と言った場合、多くの人がイメージするのは、“科学技術に頼らない”有機栽培などの栽培方法を行なっている農産物ということになるだろう。では、有機農産物は実際に安全・安心で栄養価が高いと言えるだろうか。 化学農業時代が有機栽培を生んだ それを考える前に、まず有機栽培とは何かということを押さえておきたい。 かつて化学肥料は“金肥”(きんぴ)などと呼ばれていた。金で買う肥料、高価な肥料という意味だ。その名にたがわず大量に使用できるようなものではなかったが、高度成長以降は化学肥料の価格は下落し、ふんだんに使用できるようになった。 しかし、化学肥料に依存した結果、土壌中の有機物が減少し、土壌の劣化が進んだのである。かつては先に書いたような下肥など有機質主体の養分を含むものが肥料として利用されていたが、化学肥料を使うようになってそれら有機物を供給することが行われなくなったのだ。 畑

    有機農業を理解するには農薬と化学肥料を理解する必要がある - FoodWatchJapan
  • 貧農史観の起源

    shinshinohara @ShinShinohara 「農家はいつも虐げられてきた」このフレーズは必ずしも正しくない。明治維新以後に農民が特に苦しい生活を強いられ、このときの体験が江戸時代にまでさかのぼって「江戸時代でも農家は貧しく搾取されていたに違いない」というイメージが定着した可能性がある。 2013-01-24 12:17:55 shinshinohara @ShinShinohara 江戸時代には五公五民など、収穫の半分も租税で持って行かれているのだから重税にあえいでいる、というイメージがある。しかし、このときの計算根拠は江戸初期の収穫量なので、江戸時代に農業技術が発達し収量が上がった結果、実際の租税負担の割合は、実態としてずっと小さかったと言われている。 2013-01-24 12:20:18 shinshinohara @ShinShinohara しかし、明治維新で農家の

    貧農史観の起源