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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (3)

  • イースⅠ・Ⅱ通史(5):PC88版イースの開発 (1) | Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 あと『イースⅣ』をハドソンが作ったとき、実は何があったのかを様々な所から知れたので書きたいのだけど、これについては25年経っても書いていいか少々考えてしまう「エーッ!?」なところが多いので…まあオプションとしておきたい。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれると

    edajima
    edajima 2019/04/19
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(5/終)::Colorful Pieces of Game

    これは1983年春に始まり、1984年7月に終わる、ハドソンが史上初のサードパーティとして、ファミコンに参入するときの物語だ。 たくさんの当時の(がつくのが残念だが)ハドソンの方の協力を得て、ほぼ正しい歴史として記述できていると思いたい。 ただし、残念なことに、かなりの方から「自分の名前が文の中に出てくるのは歴史的なことだからいいけれど、誰が言ったかは分かるのはいやだ」といわれてしまったので、最初に名前を出してしまった野沢さん以外はハドソン関係者、ということで伏せておきたい。 さて文。 1983年の秋までファミコンの売れ行きを見たハドソンは、これならイケるということで、サードパーティとしてファミコンに参入するべく、まずファミコンソフトの開発ツールを開発してから、任天堂との交渉に臨むことにした。 複数のハドソンの関係者によると、任天堂とハドソンの交渉があったのはハドソンが開発ツールを完成し

    edajima
    edajima 2013/04/28
  • 1989年4月 - スーパーイースというタイトル::Colorful Pieces of Game

    4月に入って、格的にチームはスタートし、HaHi君と僕は札幌でチームを率いて、コードを書き始めていた(といってもプログラマは二人しかいないから、プログラムについては「チーム」じゃなかったけど(笑))。 山根はまだ北海道に来ていなかったが、それ以外のアーティストチームは一通り揃っていた。 マップと全体を見ているのが進藤司。 天外1を作っていた男で凄ノ王伝説を作っているとき仲良くなった。天外2を作るときも使いたかったのだが、人がSFCのゲームを作っていたので、だめだった。 キャラクタが伊藤真希(イトマキと呼ばれていた)。 明るいシャープなドット使いが特徴的な、いつでも眠そうな目をした女の子。 イトマキはゲームにとても大きな影響を及ぼしている。PC版のイースはアドルやキャラは16x16(正確には32x16ドットの正方形。当時は640x200の解像度だったので縦長のドット)だったが、これをかわ

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    edajima 2012/04/16
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