尾崎 行雄(おざき ゆきお、1858年12月24日〈安政5年[注釈 1]11月20日〉- 1954年〈昭和29年)10月6日〉は、日本の政治家、教育者。号は咢堂(がくどう。最初は学堂、愕堂を経て咢堂)。 日本の議会政治の黎明期から第二次世界大戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有し、「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる。政友会時代を除き、政権与党に属したことはなかった。東京市長時代の1912年(明治45年)にアメリカ・ワシントンD.C.のポトマック河畔に桜(ソメイヨシノ)の苗木を寄贈したことでも知られ、返礼として日本に初めてハナミズキをもたらした[2]。 聖公会信徒[2][3]。正三位勲一等(1946年5月4日付返上)[4]。称号は衆議院名誉議員、東京都名誉都民。伊勢神宮内宮前の饗土橋姫神社左隣の参道の奥に鎮座する合格神社の祭神[5]