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ブックマーク / shionandshieun.hatenablog.com (3)

  • ぢっとお札を見る - 私のエッジから観ている風景

    埼玉にはだれもが知っているような「偉人」がいないせいか、名の知られている偉人がちょっとでも関係あれば「埼玉とゆかりのある偉人」として無理矢理紹介する。 先日、埼玉の観光サイトを読んでいると太宰治が「埼玉とゆかりのある偉人」であることを知った。理由は『人間失格』を大宮で書いたかららしい。 埼玉県民のわたしは思わず、こうつぶやいた。 「知らねぇよ。」 どこで書きはじめたかなんてどうでもいいし、仮にそうだとしても「ゆかりがある」なんて実感が湧かない。 こうしなければいけないぐらいメジャーな偉人がいないのだ。 もちろん、それは埼玉に「偉人」がいないというわけではない。とりあえず、思い浮かぶひとは3人いる。 1人は江戸時代中期から後期に活躍した塙保己一だ。幼少のころ、病で失明したが、江戸に出て学者になり、日の国文学や国史をまとめた大著『群書類従』を編纂した。編纂の際に版木を「20字×20行」の40

    ぢっとお札を見る - 私のエッジから観ている風景
    el-condor
    el-condor 2019/04/11
    埼玉の偉人で比較的瑕疵のない人ということでは林学を学んだものとしては本多静六を推したい。日本の朝鮮統治時代には同地での公園設計にも関与してるけれど渋沢ほど積極的でもないわけだしまあ。
  • 土下座してほしいわけじゃなくてね - 私のエッジから観ている風景

    ある日、学校指定のバッグに防弾少年団のキーホルダーをぶら下げた女子高生たちが新大久保のスーパーで「情」とパッケージに書かれたチョコパイを買っているのを見かけて、「時代が変わった」と感じた。 1991年生まれの私にとって「韓国」といえば、ドラマでも、アイドルでもなく、お菓子だった。小さいころ、通っていた教会に行くと韓国から日に帰ってきた牧師さんが教会の子どもたちにお土産として、現地で買ったお菓子をくれるのだが「甘くすればなんでもお菓子って言えばいいってわけじゃないと思います!」と、まだ味も分からない小学生だった私が思うレベルのもので手に余らしていたが、同じ教会に通っていた母方の祖母は「そんなものは私がべるから詩恩ちゃんはこっちをべなさい。」と言って、彼女が持っていた日のお菓子と交換してくれた。 普段は「出されたものはなにがなんでもべなさい。」と言うひとだったが、このときばかりは許し

    土下座してほしいわけじゃなくてね - 私のエッジから観ている風景
    el-condor
    el-condor 2019/03/02
    良い
  • まぁ、いいや、そこにいろい。 - 私のエッジから観ている風景

    談志師匠を好きになったのは若いころに演じていた『源平盛衰記』をYouTubeで聴いたのがきっかけだった。 私が聴いた回では談志師匠がいきなり客席に向かって「立っているのは大変だなぁ。」と語りかける。どうやら、このときのひとり会は満員札止めで立ち見の客がいたらしい。 「チケットを多く売りすぎるのも問題だなぁ。」とひとりごとのように言うと、談志師匠は立ち見の客にこんな言葉を投げかける。 「まぁ、いいや、そこにいろい。」 落語に完全無欠な聖人なんて出てこない。むしろ、どっか抜けた人たちばかりが出てきて、騒動を起こす。そういう人たちは現代だと「生産性がない」とレッテルを貼られておしまいなのだろうが、落語の世界ではどんな人でも「まぁ、いいや、そこにいろい。」でおしまい。「生産性」なんて追及した日には「お前は野暮だね。」と馬鹿にされるのがオチなのだ。 談志師匠はそんな落語を「業の肯定」と定義したけれど

    まぁ、いいや、そこにいろい。 - 私のエッジから観ている風景
    el-condor
    el-condor 2018/10/15
    粋な文章ですなあ
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