主に個人サークル「カダス戦車博物館」の活動報告、並びに旧日本軍の戦車に関係する軍事・歴史についての雑想・書評をまとめます 「九七式中戦車は十五糎榴弾砲の至近弾で車体がバラバラになった……」 このフレーズは九七式中戦車という戦車を調べるにあたって、ときどき見つかる有名な話です。 大体は「損傷はしたが車台は耐えた」という一式中戦車とセットで語られ、旧軍戦車を表すエピソードの一つとしてしょっちゅうネタにされています。 しかし、このネタも一つ不可解な点があります。この話の出処です。 前述の話は「旧陸軍の対弾試験」でのエピソードとして伝わっており、幾つかの書籍でもそう書かれています。 有名なところでは「SATマガジン別冊 日本陸軍の戦車」や「帝国陸軍陸戦兵器ガイド―1872-1945」でしょうか。 しかし、これらの書籍でもその「対弾試験」に関する詳細は書かれることはなく、あくまで「~だったと言われる