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ブックマーク / brighthelmer.hatenablog.com (14)

  • マスコミュニケーション論で語る「桃太郎」 - 擬似環境の向こう側

    今を遡ること数年前、「桃の鬼退治」が世間の注目を集めるという出来事があった。 以下は、一人のマスコミュニケーション研究者として、それを記録しておかねばならないという義務感によって書かれた文章である。ただし、多くの部分を知人からの伝聞情報に依拠していることを最初に明記しておかねばならない。現場の状況を知ることが難しい研究者としての限界である。 モラルパニックとしての「鬼の襲撃」 この出来事の発端を求めるならば、出来事そのものからさらに20年ほど遡らねばならない。当時、知名度の低いある週刊誌が「特集ワイド 桃から人が生まれた?寂れた山村で老夫婦が奇怪な証言」という記事を載せたことがあった。雑誌記事アーカイブで私も読んでみたが、川に流れてきた桃から男の子が生まれたというキワモノ系の記事でしかなく、当然、他のメディアに波及することはなかった。影響力の小さなメディアにこうした記事が載ったところで、メ

    マスコミュニケーション論で語る「桃太郎」 - 擬似環境の向こう側
  • (書評)「プロパガンダ」史観の限界 - 擬似環境の向こう側

    素人が挑む「南京事件」 この八月、いわゆる「南京事件」を論じた二冊の書籍が出版された。 一冊は有馬哲夫『歴史問題の正解』(新潮新書)、もう一冊は清水潔『「南京事件」を調査せよ』(文藝春秋)だ。有馬は冷戦期プロパガンダ研究などで有名なメディア研究者、清水は桶川ストーカー事件や足利事件などの報道で知られる日テレビの記者である。 ここで注目したいのは、どちらも「南京事件」の専門家ではないという点だ。実際、清水の著作を見ると「南京事件」は「相当に面倒そうなテーマである」といった後ろ向きな記述や、事件に関する書籍の多さに愕然となるシーンなど、清水自身がこの事件について詳しい知識を持たなかったことが正直に吐露されている。 他方、有馬の著作は「書は日アメリカ、イギリスの公文書館や大学図書館で公開されている第一次資料に基づいて歴史的事実を書いたものである」という書き出しに象徴されるように、あくまで

    (書評)「プロパガンダ」史観の限界 - 擬似環境の向こう側
  • 犯罪と社会構造 - 擬似環境の向こう側

    容疑者は「特殊な人間」か 相模原の障害者施設で陰惨な事件が起きた。 事件そのものについてはまだ解明が始まったばかりなので、特に書くことはないし、書くべきでもないだろう。ここで取り上げたいのは、事件についての<語り>である。 まず紹介したいのは、藤田孝典さんの記事である。この記事で藤田さんは、事件の背後に障害者施設を取り巻く社会構造があると論じている。一部を引用したい。 労働の内容に比べ、対価があまりにも安すぎるのです。障害者施設の職員だけでなく、介護士や保育士もそうですが、これまで家族に委ね、押し付けてきた分野が、少しずつ社会化しているわけですが、その労働環境があまりにも劣悪で、半分ボランティアのような状況で働かせられている。容疑者が社会福祉というものに対しての欺瞞性を感じていたことは確かです。 悲劇を二度と起こさないためにはどうすればいいのか。課題は山のようにありますが、彼が特殊な人間で

    犯罪と社会構造 - 擬似環境の向こう側
  • 保育園不足問題は「超政治化」できるか? - 擬似環境の向こう側

    anond.hatelabo.jp このエントリが話題である。 はてなの「アノニマス・ダイアリー」(通称、増田)のエントリがここまで話題になるというのは、長年のはてなユーザーからすればある種の感動を禁じ得ない。だって、あの増田ですよ?通勤途中にう○こ漏らしたとかいう話題で盛り上がっているあの増田が国会デビューする日が来るとは、さすがにちょっと予想できなかった。ちなみに、増田には稀に文学的な文章が投稿されることがあり(「増田文学」と呼ばれる)、ぼくのお勧めは次のエントリだ。 anond.hatelabo.jp 「超政治化」と「脱政治化」の狭間 …という前置きは措くとして、保育園エントリが話題になって以降、いくつかの動きが出てきた。このエントリで取り上げたいのは、保育園不足の問題を政治的党派間の争いに利用しないで欲しいという主張、そしてもう一つはこの問題の重要性を否定、もしくは切り下げようとす

    保育園不足問題は「超政治化」できるか? - 擬似環境の向こう側
  • 犯罪報道の二つの方向性 - 擬似環境の向こう側

    多摩川沿いで中学生が殺害されるという痛ましい事件が起きた。 事件の詳細についてはまだ部外者が何も語れる段階にはない。にもかかわらず、すでに少年法の改正を求める声が上がっている。容疑者が未成年である場合に氏名などの報道を禁じている規定の改正が必要だというのだ。 第61条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。 (出典)少年法 (自民党政調会長の:引用者)稲田氏は「少年が加害者である場合は名前を伏せ、通常の刑事裁判とは違う取り扱いを受ける」と指摘。その上で「(犯罪が)非常に凶悪化している。犯罪を予防する観点から今の少年法でよいのか、今後課題になるのではないか」と語った。 (出典)「自公政調会長

    犯罪報道の二つの方向性 - 擬似環境の向こう側
  • 「リベラル」って誰のこと? - 擬似環境の向こう側

    ネットではよく「戦後リベラルは…」といった物言いを目にする。そこで言及される「戦後リベラル」というのは大抵頭の悪そうな主張をしていて、柔軟性に欠ける一方、平気でダブルスタンダードを行使する卑劣な輩であったりする。 こういう物言いが気になるのは、ぼくが自分のことを(一応は)リベラルだと考えているからなのだろう。自分では全く支持しないような意見であっても「リベラル」だというだけで、それを支持していることにされてしまう。これはあまり愉快な経験ではない。 おそらくそれは「リベラル」に限った話ではないはずだ。「フェミニズム」、「サヨク」、「ウヨク」、「ネトウヨ」等々のカテゴリーにしても同様のはずだ。自分では口にしたこともないような意見についてまでそれを支持していることにされてしまう。実際、この手の粗雑なカテゴライズは緻密な議論を展開するうえではそれほど役に立たない。むしろ邪魔になることのほうが多いだ

    「リベラル」って誰のこと? - 擬似環境の向こう側
  • 「正しい情報」は伝わるのか - 擬似環境の向こう側

    「どちらでもない層」を説得する 先日、NHK国際放送とは別に「日の立場を正確に発信する」放送局の創設を自民党が検討しているという報道がなされた。 自民党は14日、国際情報検討委員会(原田義昭委員長)などの合同会議を党部で開き、慰安婦問題や南京事件などで史実と異なる情報が海外で広まっている現状を踏まえ、日の立場を正確に発信する新型「国際放送」の創設を検討する方針を確認した。中国韓国などの情報戦略を分析、在外公館による情報発信の拡充についても議論し、今年の通常国会会期内に結論を出すことにしている。 会議で原田氏は「どういう形で相手国に情報が伝わるかにも目配りしながら、正しいことをきちんと発信していくことが大事だ」と述べ、「攻めの情報発信」の意義を訴えた。 (出典)http://www.sankei.com/politics/news/150114/plt1501140037-n1.ht

    「正しい情報」は伝わるのか - 擬似環境の向こう側
  • 領域侵犯のモラル - 擬似環境の向こう側

    著名な社会学者である大澤真幸さんの文章が、多くの人によって批判されている。 大澤さんがどれぐらい有名な社会学者かと言えば、人気アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』でその言葉が登場人物に引用されるほどなのである。これを書きながら、ぼくの論文もいつかアニメで引用される日が来るのだろうかと一瞬だけ夢想したが、そもそも他の研究者からすらもほとんど引用してもらえないので、その夢はきっと叶わないだろう。 いきなり話が逸れた。 批判を浴びているのは、今度の選挙にまつわるこの文章である。このなかで大澤さんが日経済の現状について詳細に論じていることが、おもに経済学に強い人たちから厳しく非難されている。 この際だから、もう一言、付け加えておこう。ほとんどの論者が、増税は、消費意欲を低下させ、経済成長に対してマイナスだ、という趣旨のことを述べている。ほんとうなのか、私は疑問に思っている

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  • 吉田証言はどこまで国際世論を形成したか - 擬似環境の向こう側

    (ツイートのまとめに加筆) 吉田証言の影響力を検証するには 慰安婦の「強制連行」に関する吉田清治氏の証言とそれに関する報道はどこまで国際世論を形成したのか。いきなりで恐縮だが、ぼくには分からない。分からないのだが、これに関して思うところを少し書いておきたい。 吉田清治氏の証言やその報道が日韓関係にどれぐらい影響を及ぼしたのかについては木村幹さんが積極的に論じているが、ここでのテーマは広い意味での国際世論に与えた影響についてだ。 マスメディアの影響を考えるさい、もっとも一般的なのは、それが受け手(聴取者や読者)にどのような影響を与えたのかを検証するというものだ。ただ、今回の件に関して、この調査は非常に難しいだろう。 また、慰安婦問題の場合、吉田証言がクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議で採用されているということもあるが、内容の決定にあたってどの影響を及ぼしたのかについては意見が分かれてい

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  • ポジティブ・フィードバックの誘惑 - 擬似環境の向こう側

    「表現の自由」はなぜ必要か 昔、ぼくがまだ大学院生だったころ。大学のゼミで「表現の自由」はなぜ必要なのかを議論したことがあった。 ぼくは「表現の自由」や「言論の自由」は基的人権の一部であり、それは不可侵だと主張した。しかし、たとえば戦争などの緊急事態にあるとき、国家はどこまで人権を保証することができるだろうか?戦争が始まってしまえば勝利こそが最優先課題であり、とにかく国民の一致団結が不可欠である。そうした状況下では国民の士気を損なうような言論は制限されてしかるべきではないか?そのような主張にぼくはうまく応えることができなかったように思う。 情報システムとしての国家 この問題について、ぼくがこれまでで最も強い説得力を感じたのが、カール・ドイッチュが『ナショナリズムと社会的コミュニケーション』で展開している議論だ。ちょっと堅苦しい言葉が並ぶけれども、ここで言っていることは難しくはないと思う。

    ポジティブ・フィードバックの誘惑 - 擬似環境の向こう側
  • 『災害ユートピア』と『ショック・ドクトリン』 - 擬似環境の向こう側

    ささやかな「災害ユートピア」 今から10年ほど前の話だ。 当時、ぼくは5軒続きの2階建長屋に住んでいた。新築だったので住民は我が家と同様に若い夫婦が多かった。しかし、まだ子どもがいなかったぼくらに近所づきあいなるものは存在しなかった。 あるとき、夫婦でぼくの実家に一泊したことがあった。その帰り、最寄り駅から長屋に向かって歩いていると、妙なことに気づいた。我が家の窓明りがついているのだ。「あれ、電気消し忘れたっけ?」などと話ながらさらに長屋に近づいていくと、その窓のガラスが割れているのが目に入ってきた。 「空き巣だ」 もし、まだ家のなかにいたらどうしよう?とりあえず、そっと玄関のドアを開け、なかに置いてあった傘を手に取る。空き巣がまだいた時に応戦するためだ。勇気を出して、そのまま家に上がる。 あちらこちらを見たが、どうやら空き巣が潜んでいる様子はない。だが、家のなかは明らかに土足で踏み荒らさ

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  • 「反日分子」からの挨拶 - 擬似環境の向こう側

    ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』のあとがきには、「英国ファシスト連盟(BUF)」のリーダー、オズワルド・モズリーをめぐる顛末が書かれている(モズリーの主張については、以前、このエントリで紹介した)。第二次世界大戦が勃発すると、英国政府はモズリーとその、そしてBUF(この頃には英国連盟と名乗っていた)の幹部を拘束し、裁判抜きに収監してしまう。オーウェルもこの措置に賛成している。 その後、1943年になるとそろそろモズリーたちを釈放しても良いのではないかという話が出てくる。モズリーとは政治的立場がまったく異なるはずのオーウェルも釈放には賛成する。ところが、当時のイギリスには強い釈放反対論が存在していた。オーウェルによれば、その釈放反対論は「民主主義を守るためには全体主義的な手法が必要」だと主張していたのだという。 その「手法」は要するにこういうことだ。民主主義を守るためにはいかなる手段

    「反日分子」からの挨拶 - 擬似環境の向こう側
  • 民主主義の黄昏 - 擬似環境の向こう側

    ネットでは麻生さんの「失言」が話題だ。たとえ発言を文字起こししたものを読んだところで、麻生さんが何を言いたかったのかは結局よく分からないのではないかという印象がある。 それはさておき、麻生さんの発言をきっかけとしてワイマール憲法やナチス、全権委任法などに関する関心も高まっているようだ。もしかすると、現在の日もそういった事柄に関心を寄せざるをえない事態に至っているのかもしれない。(このエントリとか) 残念なことに、ぼくはドイツに関してはそれほど勉強しないので、当時の状況がどうだったのかということについてははっきりと言えない。ただ、当時において民主主義に対する懐疑が高まっていたのは、ドイツに限った話ではない。議会主義の母国と言われるイギリスにおいても、民主主義への批判は強まっていた。 実際、イギリスにおいてもファシズム団体はいくつか生まれていた。そのなかでも、もっとも多くの支持者を集めたのが

    民主主義の黄昏 - 擬似環境の向こう側
  • 消費税増税は「マスコミのせい」か? - 擬似環境の向こう側

    マスコミによる消費税増税キャンペーン? 少し時期を逸したが、消費税の増税が安倍首相によって正式に表明された。 これを受けて、どういう理路なのかはいまいち定かではないのだが、増税に反対する人たちから「マスコミが悪い」という声が上がっている。どうやら「飛ばし」記事まで含めて、マスコミが増税キャンペーンを張ったがゆえに増税が実現したということのようだ。 しかし、たとえば『読売新聞』の8月31日の社説は次のように述べている。 政府は、2014年4月に予定される消費税率の8%への引き上げは見送るべきだ。景気の格回復を実現したうえで、15年10月に5%から10%へ引き上げることが現実的な選択と言えよう。 他方で、同紙は9月12日には「安倍首相は11日、消費税率を来年4月に現行の5%から8%に予定通り引き上げる意向を固めた」という報道をしているので「飛ばし」に加わっていたことになる。 消費税の延期を社

    消費税増税は「マスコミのせい」か? - 擬似環境の向こう側
    emiladamas
    emiladamas 2013/10/05
    ”安倍首相と心理的に一体化してきた人たちが、消費税増税という「失政」を目にしたとき、安倍首相本人の責任ではなく、彼を取り巻く環境のせいにしたいという願望を持ったとしても驚くにはあたらない”
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