朝鮮半島をめぐる東アジアの合従連衡 そのころ、大陸でも動乱が続いていました。まずは新羅の朝鮮半島統一です。当時の朝鮮半島は、北の高句麗、西の百済、東の新羅が合従連衡がっしょうれんこうを繰り返していた朝鮮三国時代にあたります。 基本的には西の百済が日本と組んで、新羅と戦っていたのですが、618年に中国大陸で唐が成立し、高句麗との緊張が高まると、新羅は唐に朝貢して同盟関係を結び、唐・新羅連合軍は660年に百済を攻め滅ぼすことに成功しました。 国を失った百済の王族・貴族が日本に亡命して中大兄皇子に援軍を求め、それに応えて日本は黄海で唐・新羅連合軍と交戦し、惨敗します。これが有名な白村江はくすきのえの戦い(663年)です。唐の日本遠征を恐れた天智天皇は内陸の近江大津宮おおつのみやに遷都し、九州の守りを固めました。 ところが、唐の日本遠征は実現しませんでした。新羅との関係が急速に悪化したからです。百
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