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ブックマーク / diary.lylyco.com (8)

  • 日々を楽しく過ごすための2つの教訓|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    人がやることには2種類ある。「やらなきゃいけないこと」と「やりたいこと」だ。 教訓その一。「やらなきゃいけないこと」は「労少なくして益多いこと」から着手すべし。たとえば、部屋の片付けなら大物からいく。人間、成果の見えにくい労力を払い続けることは難しい。部屋の隅の埃を取るよりも、まず目立つゴミから片付ける。片付いたという実感が沸きやすいところから攻めるのである。そうして徐々に細部に移っていく。これなら途中で力尽きても、片付けが進んだ実感は残る。順序が逆だとそうはいかない。さして変わり映えのしない部屋を見て徒労感を募らせることになる。下手をすると、今後のやる気まで殺いでしまう。悪循環である。 これはたとえば勉強なんかにも、ある程度あてはまる。学ぶというのは、来、気持ちの好い行為である。今までできなかったことができ、解らなかったことが解るようになる。これほどエキサイティングなことはない。ただ、

    endo_5501
    endo_5501 2008/11/30
    「「やらなきゃいけないこと」は「労少なくして益多いこと」から着手すべし/「やりたいこと」は「労多くして益少ないこと」から着手すべし」
  • はてなブックマーク的未来の恐怖|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    情報というのは、どこに、どれだけ、どんな形で提示されているかでその意味を変える。 ・たぶん越権さんには通じないと思うけど - finalventの日記 ・finalventさんのはてなブックマーク観について ・404 Blog Not Found:群衆の責任、いずこ - 書評 - ウィキペディアで何が起こっていのるか この辺りの議論を眺めていて思った。はてブ的な情報受発信のあり方は、考えてみればなかなかに怖いかもしれない。今さらいうまでもないことだけれど、情報は武器になると同時に凶器にもなる。はてブ的なシステムは「価値判断を介することなく」、その意味を増幅させる。良くいえば、検閲が行われない。裏を返せば、武器か凶器かさえ判断しない。そこにはもちろん良い側面もある。が、悪い側面も無視はできない。また、こうした問題における正負は、ある程度トレードオフの関係にある。それを踏まえた上で、はてブの特

  • ただ歩くな、意志を持って歩け|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    なるほど、この人たちがダメな理由が少し分かった気がする。 ・すごい生き方 ブログ::歩いただけで逮捕!! ぼくはこの「リアリティツアー 62億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見!」が某かの政治運動だったなら、まったく賛同できないものでもないかもしれないと思っていた。国民の実態を知らずに政治はならないだろう。ならば、実態を知れと叫ぶ側にも一分の理はある。この国には、こんな酷いことになっている人たちがいるのだ、それは自己責任という言葉だけで済ませられることではない、政治の問題なのだと主張し続けることに意味はあろう。だから「貧乏人」を集めて行動を起こそう。社会に物議を醸そう。自ら信ずる理を通すためなら逮捕者が出ることも厭うまい。 そういう覚悟で挑んだものかと思っていたら、どうも違ったらしい。ただ当たり障りなく、特段の主張も持たず、「貧乏人」を集めて、麻生さんって有名人のお家を見に行こうね、と「歩

    endo_5501
    endo_5501 2008/10/28
    あー、あれ、雨宮さんだったのか。
  • もう、はてブされたら負けかなって思う|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    これはたぶんサイト一般にもいえるし、いい古された分析の展開例のひとつなんだろう。 ・新公式:儲かるWebサービス≒はてブされにくいサービス - VENTURE VIEW ・媒体資料で見るはてなユーザー像 - 19790401173.4 ひとつ目のリンク先の内容を乱暴に要約すると、「はてブを利用するようなネットリテラシーの高いヲタはデジタルコンテンツに金を出したがらない」ということだろう。そこに描き出されているはてなユーザー像は、ぼくが普段はてなのサービスを利用していて、何となく想像しているそれに割りと近い。ぼく自身、有料のWebサービスはほとんど利用していないし、「『着うた』『アバター』はまず買わない」。そして何となく、「既婚でギークでクレバーな大金持ち層」と「精神を複雑骨折した非モテニートやワーキングプア層」という二極化した世界を勝手に幻視してもいる。 まあ、そんなバカな幻想はさして現実

  • 押井守が存在できない映画界はツマラナイ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最初に当然のひと言から。自分に決められるのは、自分にとっての価値だけだ。 ・「スカイ・クロラ」でひどい目に遭う - 挑戦者ストロング 面白がれる人がほとんどいない。良さを理解できる人が極めて少ない。そういう映画には価値がない。この人はそういっている。なんてツマラナイ意見だろう。その作品を愉しめるかどうかは、どこまでも個人的な問題だ。押井守が「スカイ・クロラ」を面白いと思って作ったなら、押井守に共感できる感性の持ち主がそれを面白がれる可能性は高い。たとえどんなに少数派でも、その事実を以て作品を無価値と断ずることは傲慢だろう。人気のない商業作品は市場価値が低い、という主張なら分からなくもないけれど、自分が愉しめないものに価値はないという暴言には眉を顰めざるを得ない。 リンク先でDersu氏は「こういうクソ映画のせいで映画というジャンルそのものが痩せていくんだよ。」と映画の未来を憂えている。ぼく

  • 学校を無菌室にすればいじめられっ子は救われるか?|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    学校の仕組みが生む同調圧力をいじめの原因のひとつと考える。一理あるとは思う。 ・学校の仕組みそのものがいじめの温床になっている - chanbaraの断片 - 断片部 ただ、こうした犯人探しは実はあまり役に立たないかもしれない。というのも、こうした要素はおそらく「いじめしか生まないもの」ではないからだ。もしも、「いじめしか生まないもの」が実際に存在するのなら、それは全力で駆除すべきである。ただ、現在の学校の仕組みは何も同調圧力だけを生んでいるわけではない。であれば、教育の効率やその他有用な要素からこの同調圧力だけを切り離すことは不可能だろうと思う。よしんば、同調圧力と呼ばれるものだけを首尾よく排除できたとして、その時、学校からなくなるものは果たしていじめだけだろうか、という疑問も残る。 また、「学校の仕組みそのものがいじめの温床」といういい方は、いじめのある環境すべてに敷衍できてしまう。た

  • ブログで幸せになれない5つの動機|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    1.とにかくオレの話を聞いてくれ 誰も聞いてくれない。いや、オレの話がとてもタイムリーだったり、とてもエンターテイメントだったり、とても実用的だったりすれば聞いてもらえる可能性は高い。けれども、素のオレの話がそこまで面白い可能性はそう高くない。いい換えれば、面白いエントリーを量産できるほど面白いオレじゃないと続けるのは難しい。続けるために面白くしようと思うと、オレの話というよりはみんなが聞きたい話になってしまう。オレの話を聞かせたくて始めたブログが、必死で読者に媚びるブログになったりする。当初の欲求は満たされず、末が転倒する。疲労困憊する。 2.侃々諤々の活発な議論を期待する 議論というのは、ある程度の前提を共有することで成り立つものだ。前提を共有しない集団の議論は論点を持ち得ない。だから、議論は収束に向うどころか拡散の一途を辿る。およそ無関係と思えるような議論の飛躍こそが醍醐味ではない

    endo_5501
    endo_5501 2008/08/02
    「プライベートな日記帳代わり/リスクは決して小さくない」むしろそのリスクを楽しむ
  • 恵まれた精神の無邪気が切り捨てかねない大切なもの|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    率直に生きるというのはとても難しい。 ・発言を額面どおりに受け取る - タケルンバ卿日記 ・「相手にこう思われたらどうしよう」を、捨てよう。 - GoTheDistance #ふたつ目のリンク先がコメント欄になっていたため修正 確かに「社交辞令が効かない会」は魅力的だ。たとえば、日常が社交辞令や駆け引きや婉曲表現に満ち満ちていて疲れる。そんな風に感じるとき、避難場所として「社交辞令が効かない会」の会員同士で集まって、そんな面倒なスキルを必要としないコミュニケーションを楽しむ。これはなかなかに心惹かれるものがある。けれども、それは前提を共有しているからこそ得られる心の平穏だともいえる。前提を共有しない社会でこの方法を実践するには、相当の覚悟と根性が必要だろう。学校や会社といった簡単には逃げられない共同体内で、自ら居心地を悪くする可能性も低くない。 過剰な空気読みや、それを半ば強制するような無

    endo_5501
    endo_5501 2008/07/22
    「社交辞令が効かない会」/なんとなく、「芝村に挨拶はない」を思い出した
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