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長崎街道196〜大橋宗銀と犯科帳と | 長崎ディープ ブログ
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長崎街道196〜大橋宗銀と犯科帳と | 長崎ディープ ブログ
奥に聖母の騎士修道院の鐘楼を望む、この一角㉗には旧長崎街道にあった石碑が集められています。 奉納法... 奥に聖母の騎士修道院の鐘楼を望む、この一角㉗には旧長崎街道にあった石碑が集められています。 奉納法華妙典一字一石塔、三界萬霊塔、墓碑などがありますが、面白いのは大橋宗銀の墓□です。 「六段上手 大橋宗銀居士」「天保十(1839)年巳亥十一月廿三日 東武産而客死長崎」と刻んであります。 この大橋宗銀はかなり、怪しい人です。 長崎奉行所の裁判記録『犯科帳』。天保十(1839)年十二月に、大橋宗銀と思われる「大橋宗元」という人に関わる調べが五回行われ、五人の人が、罰金や牢押し込めなどの罰を受けています。 要約すると 「東武蔵の人である自称・将棋の家元と名乗る大橋宗元という人が、江戸で博打で失敗し、ニセ手形をもって長崎に流れてきた。この手形を信用して、しばらく滞在させていた家で、将棋の指南をしていたが、突然いなくなり、行き倒れになっていた。行き倒れた宗元に適切な処置をしなかったため、死亡してしまっ