エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「ご利用できます」 | きまぐれノート
言葉が変化する時、眉をひそめる人は必ずいるものです。たとえば「見れる」「食べれる」などのいわゆる... 言葉が変化する時、眉をひそめる人は必ずいるものです。たとえば「見れる」「食べれる」などのいわゆるラ抜き言葉を「間違った日本語だ」と批判する人は、特に知識人に多くいるようです。 私も、ラ抜き言葉に違和感がないでもありません。しかし、それは標準日本語に定着してほしい言葉だと思っています。なぜなら、合理的で便利な言葉だからです。 たとえば、柔道の実況中継で「山下、投げられません!」では、山下選手が相手選手を投げることができないのか、山下選手が相手選手によって投げられることなく踏ん張っているのかが区別できません。「投げられる」には可能と受身の両方の意味があるからです(さらに尊敬の意味もありますが)。「山下、投げれません!」ならば、投げることができないという意味と判別できます。 五段活用動詞については、可能形と受身形の区別はすでに標準日本語に定着しています。たとえば「聞く」の可能形としては「聞ける」