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世界史を知るための書籍レビュー
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消... [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 杉山正明『逆説のユーラシア史―モンゴルからのまなざし』の中で、モンゴル時代の歴史を東西の原典史料から研究している立場からすると、「マルコ・ポーロ」なる人物に関してあまりにも疑問が多いことが指摘されています。 ヴェネツィア生まれのマルコ・ポーロは、17歳の時に父・叔父とともにアジアへと旅し、15,000kmの旅の末、1295年ヴェネツィアに戻り、その後牢獄の中で『世界の記述(東方見聞録)』を口述したとされます。 杉山教授がマルコ・ポーロに関する疑問点としてあげるのは、 20数か国にわたるモンゴル時代の根本原典には、マルコ・ポーロに関する記述がまったくない。 マルコ・ポーロがモンゴル帝国大ハーンフビライ(クビライ)のもとで就任していたとされる地方長官の職は、歴代の名がすべてわかるにも