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「持たざる者」の物語としての「クドリャフカの順番」――アニメ『氷菓』感想 - 宇宙、日本、練馬
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「持たざる者」の物語としての「クドリャフカの順番」――アニメ『氷菓』感想 - 宇宙、日本、練馬
文化の日も終わって、文化祭の季節ももう終わりが見えてきた感じでしょうか。僕の周りの大学は学祭も終... 文化の日も終わって、文化祭の季節ももう終わりが見えてきた感じでしょうか。僕の周りの大学は学祭も終わってすっかり通常営業しているようです。文化祭をノリノリで楽しむようなメンタリティは失って久しいんですけれども、遠く離れてしまった友人と再会する機会を得たので、それは本当に良かったです。その友人と、アニメ『氷菓』の「クドリャフカの順番」編を見返したりもして。せっかくなので感想を書き留めておこうと思います。 「持たざる者」と「期待」 「クドリャフカの順番」から物語を取り出すならば、「持たざる者」が「期待」をかける物語、といえるんじゃないだろうか。ここでいう「持たざる者」とは、漫画研究会の河内亜也子、総務委員長の田名辺治朗、そして福部里志。彼・彼女らが、それぞれ別の人物に「期待」を託す。その「期待」もまた、作中で強烈な意味を付与されて用いられる。 里志を勝手にライバル視して闘志を燃やしていた谷惟之の