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悪事の中に在る「善意」に気付けるのか - 伊勢ー白山 道
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悪事の中に在る「善意」に気付けるのか - 伊勢ー白山 道
今朝に思い出した言葉は、 「人間は善良であればあるほど、他人の良い点を認める。 しかし、愚かで意地... 今朝に思い出した言葉は、 「人間は善良であればあるほど、他人の良い点を認める。 しかし、愚かで意地悪であればあるほど、他人の欠点を探しているものだ」 (帝政ロシア時代の小説家トルストイの言葉) 自分が、他人の悪口を言ったり、他人に怒りを覚える時ほど、 ・ 一番注意するべきは、そういう時の自分自身だった。 自分が満たされていれば、他人の悪口を言うよりも、他人の良い点に気付けるということです。問題は、 ・ 自分が苦しい時でも、他人の良い点に気付けるのか? ・ 自分が苦しい環境に居ても、そこでも、その中での「有り難いこと」に気付けるのか? ・ 家庭の中でも、不満よりも、それでも既に在る有り難さに気付けるのか? 精神世界では、「気付き」が大切だと昔から様々な表現で指摘されていますが、 ・ それは、神様や霊的なことへの気付きではありません。そういう気付きの大半は、幽界レベルのことであり、大した意味が