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『銀座と資生堂』 新刊ちょい読み - HONZ
資生堂の初代社長福原信三についての学術研究に肉付けした本だ。著者は本書の原型となる論文で2010年に... 資生堂の初代社長福原信三についての学術研究に肉付けした本だ。著者は本書の原型となる論文で2010年に博士号を取得している。そのため読み物としては情報量が多すぎるきらいがあるのだが、それがまた本書の魅力にもなっている。そもそも資生堂は信三の父親である福原有信が明治5年(1872)に創業した薬局だった。有信は幕府医学所から大学東校(現在の東大医学部)に進んだ俊英である。渋沢栄一は姻戚だし、夏目漱石も森鴎外も顧客だった。 本書のテーマである有信の3男、福原信三は明治16年に生まれた。何不自由なく生まれ育ち、やがて大正4年(1915)から経営に参画し、やがて資生堂を化粧品メーカーへと事業展開を本格化していくのだ。生涯にわたって資生堂の発祥地である銀座を大切にし、銀座とともに発展した。その信三の信念のひとつは「環境がすべてを決定する」というものだった。 ところで、アップルやグーグルが生まれた若者の街