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【プラトン】対話編「国家」におけるイデア論について(1)〜線分の比喩
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【プラトン】対話編「国家」におけるイデア論について(1)〜線分の比喩
作品概要 古代ギリシャ哲学者・プラトンの対話編「国家」は、その著作の中でも長編の部類に属する。「正... 作品概要 古代ギリシャ哲学者・プラトンの対話編「国家」は、その著作の中でも長編の部類に属する。「正義について」という副題にも関わらず1巻から5巻までの前半部は、変哲のないユートピア的国家論ともいうべき中味であまり重厚さは感じられない。 岩波文庫版の上巻にあたるこの部分は、退屈でもなく面白くもない空気のような内容。「国家」が恐るべき真実の核心に迫り出すのは下巻すなわち第6巻以降である。ただし第6巻付近で交わされるソクラテスとの重要な対話は、それまで彼の問い答えに付いて来れた者だけが聞くことができる。 いわばラジオの周波数を合わせる、というヤツである;であるからそこまでの内容がいかに退屈で面倒でも、頑張ってソクラテスに合わせなければならない。このことはプラトンの本のほとんど全てに通じる、暗黙の約束みたいなものだ。 イデアと似像の比例関係 そこで書かれているのはこういうことだ;まず物質世界とイデ