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ロックになったRCサクセションの「上を向いて歩こう」に驚いた作詞者の永六輔
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ロックになったRCサクセションの「上を向いて歩こう」に驚いた作詞者の永六輔
1961年7月21日の夜、世界の音楽史に残るひとつの歌が東京・大手町にあったサンケイホールで誕生... 1961年7月21日の夜、世界の音楽史に残るひとつの歌が東京・大手町にあったサンケイホールで誕生した。 永六輔作詞、 中村八大作・編曲、 19歳の坂本九が歌った 「上を向いて歩こう」 は、その年にレコードが発売されて大ヒットしたのみならず、 1963年6月15日には全米チャートで第1位を獲得した。 そして坂本九がうたった日本語のまま世界中でも愛聴されるという、日本のポップス史における最大の快挙を成し遂げていった。 それから15年の月日が過ぎた1978年から79年にかけて、少年時代にこの曲を聴いて育った若者たちが本格的なロック・バンドを目ざして、リハーサルを重ねていた。 その中心にいたRCサクセションの忌野清志郎は、4月に誕生日を迎えて27歳になったところだった。 生涯の朋友となる仲井戸麗市はその頃にRCサクセションに正式参加したが、ライブで取り上げた当時の気持ちをこのように語っている。 あ