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Compulsory rule: Libertarianism@Japan
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Compulsory rule: Libertarianism@Japan
法律を強制の道具としていくらでも用いて良いと昨今政府は特に勘違いしている。 日本政府に代表される、... 法律を強制の道具としていくらでも用いて良いと昨今政府は特に勘違いしている。 日本政府に代表される、日本の民度の低さはもはや決定的だ。 民間企業も、大企業になれば官僚的な体制を敷いているから、こういったルールによる強制をコンプライアンスの名目で平気でとるようになった。 強制とは、基本的に”禁止”が基にある。だが、何かを一つ禁止するだけで、思ってもいなかった弊害が沢山出てくるようのは確実である。しかしその弊害が本質的な問題なのではなく、自由を失うことが問題なのだ。 禁止すればするほどコンプライアンスが守られるようになるというのであれば、全てを禁止し、全てを許可制にすればよい。そして自由が0の社会になれば、コンプライアンスという(法)ルール遵守体制は完全なものとなり、表面的には北朝鮮のように静かな活気のない秩序だった社会になるかもしれない。 自由な社会とは、強制のない社会のことである。これはハイ