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社会分析脳を訓練する実践読書ブログ 信じることを書ききっている八木重吉のオリジナリティ
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社会分析脳を訓練する実践読書ブログ 信じることを書ききっている八木重吉のオリジナリティ
勉強会の開催、参加・ビジネス書や人文書の読書を通じて、将来を見通す能力「社会分析脳」を鍛えていく... 勉強会の開催、参加・ビジネス書や人文書の読書を通じて、将来を見通す能力「社会分析脳」を鍛えていくブログです。 八木重吉の詩を読みました。 明治31年に生まれ、昭和2年に30歳の若さで亡くなった八木重吉は、死後20年近くたってから小林秀雄に見い出されました。 キリスト教の信仰に貫かれた彼の詩を源として今でも多くのポエムが生まれています。 (彼のことを知っているかどうかを問わず) 今回初めて八木重吉の詩を読んで思ったことは、その詩が書ききられているということでした。 書ききられているということは、彼の書く詩が<身体の表現>となっているということです。 例えば、『こどもが病む』という作品は、たった5行だけなのに彼の詩を説明するのに十分な存在があります。 こどもが せきをする このせきを癒そうとおもうだけになる じぶんの顔が 巨(おお)きな顔になったような気がして こどもの上に掩(おお)いかぶさろ